2014年1月29日水曜日

都知事選は既に「脱原発」が軸に

 今回は「都知事選編」で、二人の有名ブロガーのブログを紹介します。
 
 一人は植草一秀氏で、都知事選を 安倍政権に今後2年半やりたい放題の反動政治を許すのか、それともそれに一定の歯止めをかけるのかの正念場と位置づけている同氏は、先ずマスメディアの選挙報道自体が極めて作為的なものであるとし、細川陣営と宇都宮陣営が大同して一人に絞りさえすれば勝てるとしています。
 
 もう一人は天木直人氏で、彼はもともとレバノン駐在大使のときに、小泉政権に対してイラク開戦に反対する公電を打ったために外務省を事実上解雇された人ですが、今回小泉氏が脱原発を掲げて細川氏とタッグを組んで都知事選を戦っていることを、極めて高くかつ熱く評価しています。これを読むと天木氏が熱血の人であるということが良く分かります。いずれも短いものなので、一連の3つのブログを紹介します。
 
 当初、政府側が盛んに「脱原発は都政のテーマにならない」と言い触らし、それに同調してマスメディアも十分に前宣伝していたにもかかわらず、現実には「脱原発」をするのかどうかが問われる選挙になっているようです。
 
 マスメディアが報じるところによれば都知事選の状況は「舛添氏が先行、細川、宇都宮それを追う」ということで、細川票と宇都宮票を合わせても舛添票に及ばないしているところもあります。
 しかし街頭演説のユーチューブなどを見るかぎり、細川+小泉演説の聴衆は歩道橋にも鈴なりになるなど、身動きも出来ないほどに沢山集まっていますが、組織票を持つ筈の舛添氏の演説にはさほど集まっていません。
 
 この大盛況に、小泉氏は「動員していないのに良くこれだけ集まる」と十分な手ごたえを感じているようです。かつてダークホースでありながら全国遊説によって一般党員の支持を集めて、ついに自民党総裁=総理の座を獲得した記憶が蘇ったのでしょうか。
 それに対して舛添陣営は、聴衆が少ないのを気にして「一般撮影禁止」という意味不明の禁止令を出したということです。この閑散とした様子をインターネットで公表しないでくれということなのでしょう。(とはいえ舛添氏は自民+公明の起訴票として2百数10万票を持っているので、100万票や150万票では到底勝てないこともまた事実です。)
 
 インターネットでは、投票率が55%になれば舛添氏と細川氏が並び、それ以上になれば細川氏が当選とか、現時点で既に細川氏が優勢になっているなどの説も流されています。
 都知事選で、自民党を勝たせないことが死活的に重要と考えるのか、それとも明確に政策を主張して善戦すればそれで良いと考えるのかで、選挙の戦略は大きく変わります。
 
 いずれにしても政権やマスメディアの意図に反して、都知事選が「(即時)脱原発」を軸に進んでいることは喜ばしいことです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
原発即時ゼロ候補者の当選可能性は十分にある
植草一秀の『知られざる真実』 2014年1月28日 
都知事選まで12日間ある。
情勢はいかようにも変化し得る。
舛添優勢の流れはメディアが創作したものである。各種調査には奇妙な共通点がある。
「舛添先行、細川、宇都宮が追う」との見出しが躍るが、肝心の数値が公表されていないのである。その理由は次のものだ。
 
舛添氏と細川氏が競り合っている。宇都宮氏は水をあけられている。こう報道すると、細川陣営支援に回る主権者が増える。また、宇都宮氏に投票予定の主権者が細川氏の投票に回る。こうなると情勢が逆転する。細川氏当選の可能性が高まるのである。
そこで、舛添氏が大きくリードして、細川氏と宇都宮氏が競り合っているとの「創作」した情報を流布している。こうなると、細川陣営と宇都宮陣営が対決姿勢を強化し、第二位確保に向けて力を注ぐことになる。原発即時ゼロ票は見事に分断されて、舛添氏が勝利をかすめ取る。
 
世論調査を取り締まる法律は基本的にはない。メディアは世論調査結果を操作し得る立場にある。こうした情報工作が実行されていることを前提に対応を考えなければならない。
 
都知事選が実施されることは、「天祐」と呼ぶべき事態である。
2016年夏まで国政選挙が行われない。この空白の2年半に、安倍晋三氏にフリーハンドが与えられた。これほど危険な状況はない。
これが『アベノリスク』である。 http://goo.gl/xu3Us 
日本政治において、「やりたい放題」の状況が生まれている。
日本が直面する五つの重要課題。原発・憲法・TPP・消費税・辺野古 について、「やりたい放題」が展開されるリスクが高まっている。
このことに危惧を感じる主権者にとって、都知事選実施は「天祐」になるのである。五つの主要問題のうち、東京都が関与し得るのは「原発」である。
 
2014年には原発再稼働問題が重大な局面を迎える。
福島の事故が現在も収束されていないなかで、当事者の東京電力が原発再稼働に突き進む姿勢を示し、安倍政権はこれを全面支援する姿勢を示している。原発再稼働が始動すれば、元の原発依存体制に逆戻りすることは明白である。福島の悲劇を経験しながら、その教訓を生かさず、原発依存に舞い戻ることは、将来の日本国民に対する背信行為である。
財政問題で「子や孫につけを遺さない」と主張する者が、どうして原発問題になると、子や孫に「つけ」どころか「破滅の原因」を遺して平然としているのか。
目先の利益だけを追求する強欲資本が原発再稼働を求めることは十分に想像がつく。
しかし、これはあくまでも強欲資本の利害であって、日本の主権者国民に利益をもたらすものではない。
 
原発再稼働に反対の主権者は圧倒的多数に達している。そうであるなら、都知事選の機会を生かして、原発再稼働阻止を主張する新しい都知事を誕生させるべきである。
どうしたらよいか。方法はひとつである。細川氏と宇都宮氏の二人の候補者の、いずれか一人が出馬を取りやめて、残る一人への投票を呼び掛けることだ。原発即時ゼロ候補者を一人にして、舛添氏と一騎打ちの選挙を行う。
この場合、原発即時ゼロ候補者が勝利する可能性が圧倒的に高くなる。
 
二人の候補者が、自分の地位よりも原発ゼロの実現を優先するなら、この戦術に理解を示し、行動を示すことができるだろう。
投開票日まで、まだ12日もある。この戦術を実行することは十分に可能な時間がある。
この実現に向けて、尽力したい。
 
今度の都知事選は細川・小泉とメディアの喧嘩でもある
天木直人 2014年01月26日
 都知事選が始まって初めての日曜日である。本来ならばテレビ各局が候補者を呼びつけて政策論争をさせるところだが今回はそれがない。仕方がないから評論家を集めて小田原評定をやっている。都知事選とは無関係の番組を流している。 こんな間の抜けた政治報道はない。見る気もしない。
 
 そう思ってテレビ番組をしばし眺めていて、はたと気づいた。
 今度の東京都知事選は細川・小泉連合と大手メディアの喧嘩でもあるのだ。 ここでいう喧嘩とは、安倍政権の側に立つ大手メディアが安倍政権を脅かす細川・小泉連合に不利な報道をしているという意味での、細川・小泉連合とメディアの戦いを指しているのではない。それはすでに何度も書いて来た。
 ここで私が気付いたのは、そのような安倍・小泉代理戦争のことではなく、文字通りの細川・小泉と大手メディアの喧嘩が始まったということである。
 選挙の季節になると候補者(政治家)とメディアの関係においてメディアが俄然強くなる。
  「政策論争を国民に伝える」という民主主義の大義名分の名の下に、政治記者の古手が大きな顔をして国民(有権者)に代わって、ここぞとばかり偉そうに候補者に質問攻めし、それを放映して視聴率を稼ぐ。つまり選挙はメディアにとってまたとない営業チャンスなのだ。ところが今回はそれができない。それは細川・小泉連合がそのような政策論争を一切否定しているからだ。
 それはそうだろう。安倍政権寄りのメディアにのこのこ出ていって不利な立場に追い込まれるような事をするバカはいない。頭にきたメディアは、ますます細川・小泉たたきをエスカレートする。
 
 これに対し細川・小泉は出席拒否という戦略を最後まで貫くだろう。都民に訴えるのは偏向に満ちたメディアではない。あくまでも街頭演説で直接に訴えるしかない。
 そう割り切って、これからの2週間を東京都のあらゆる場所で細川・小泉は演説を続けるだろう。それを大手メディアは報道したくてもできない。いまいましいということももちろんある。
 しかし公正性のゆえに、細川・小泉連合ばかりを報道できないからだ。かくて今度の東京都知事選で大手メディアの出る幕がなくなる。大手メディア抜きの選挙で日本の帰趨が決まる。メンツをつぶされた大手メディアは、いつのまにか安倍政権の為に細川・小泉をたたくという御用メデアの役割を忘れ、細川・安倍と本気で喧嘩する愚をおかすことになる。
 私は常日頃から、この国のメディアの質の低下と、そのくせ特権意識を振りかざす傲慢さに腹を立ててきた一人だ。この喧嘩、圧倒的に細川・小泉連合を応援する(了)
 
総理を辞めた人でも、過去の人でも、人間なんだ!
天木直人 2014年01月26日
 これがインターネット選挙の本来の威力である。テレビや新聞はいま東京都内で行われていることについて何も報じない。だから全国の日本国民は東京都知事選のことなどまるでどこで行われているかと思っているだろう。
 しかしユーチューブで探せば候補者の街頭演説がまるで目の前で行われているかのような臨場感を持って見たり聞いたりできる。私の関心はもっぱら細川・小泉ツーショットの街頭演説だ。絶妙のコンビだ。細川氏が切々と立候補した思いを語る。このままでは日本の将来は危ういと思って止むに止まれない思いで出馬したと語る。この言葉に嘘はないだろう。
 
 その後を小泉氏がフォローする。よくぞ細川さん決断してくれた。私は細川さんのその覚悟に敬意を表し、細川さんが当選するために全力をかけて応援する、と声を張り上げる。その後に続く小泉氏の次の言葉がその日の小泉節のハイライトだ。
 「総理を辞めた人でも、過去の人でも、人間なんだ」
 いうまでもなく、細川・小泉たたきに対する強烈な逆襲だ。しかし、これ以上感動的なセリフがあるか。選挙演説の歴史に残る名セリフだ。こう叫んだ後で、原発事故を体験した者なら福島の痛みに思いをはせて、原発なきに日本に日本を変えようと思わずにいられようか、と迫る。
 
 こんな選挙演説を言える政治家がいるだろうか。この演説の後に、ほかのどの候補者の演説を聞いても何も心に響かない。どんなにメディアが細川・小泉連合を隠し、おとしめても、東京都の全域でこのような街頭演説を細川・小泉コンビが連日繰り返せば、まともな都民なら投票したくなるだろう。まだ2週間もある。日を追って細川・小泉連合に投票しようと思う有権者が増えて行くだろう。
 
 他の候補者の演説ももちろんユーチューブで見ることができる。しかし、比較にならない。どれも同じだ。なぜか。本心を語っていないからだ。選挙のための選挙演説だからだ。何よりも大義がない。
 大手メディアの世論調査では舛添候補が大差で優勢だと報じられている。たとえそれが事実であるとしても、それは自公の組織票だ。本当の勝利はそんな打算の票だけで決まるはずがない。最後の決め手はその他大勢の政治に縁遠い一般都民だ。終盤戦に入ると形勢は逆転する。
 そして小泉進次郎が最後に応援に入ってクライマックスとなる。今度ばかりは大手メディアの選挙報道や分析は不必要である。それどころか邪魔だ(了)
 
「福島原発事故で日本は終わっていた」という意識の欠如
天木直人 2014年01月27日
  いまこそあの福島原発事故の当時の状況を我々国民は思い起こすべきではないか。
 あらゆる検証が我々に教えてくれた事は、一歩間違えば福島事故は大惨事になっていたという背筋が凍りつくような現実ではなかったか。その時は、東京はおろか、日本の半分以上は人類の住めない場所になっていた。日本という国が消滅していたのである。
 紙一重でそれが防げたのは誰の功績でもなく科学で説明できるものでもない。幸運というほかはなかったのだ。その事をいまこそ我々はもう一度思い出すべきだ。
 その意識があれば、小泉元首相の唱える、原発なしでも経済成長が可能だと考える者と原発なしでは経済発展はできないという者との戦いどころの話ではない。そのような議論が今できるほど、日本は幸運だったことに感謝しなければいけないということだ。活かされているチャンスを今度こそ手放してはいけない。
 そういう意識があれば、原発の是非が政治の争点になる事自体が信じられないということだ。福島の事故を見て脱原発に切り替えたドイツにとどまらず、世界の多くの国が日本を見てそう思っているのだ。原発を再稼働するなどということ自体が、神をも恐れない傲岸不遜なことに違いない(了)