2014年5月31日土曜日

上諏訪駅前でも 脱原発行動100回目

 長野県諏訪市でも、脱原発の抗議行動を続けて100回目になりました。
 「脱原発アクション諏訪」の人たちで、2012年7月16日の代々木公園の脱原発集会約17万人)の直後の7月20日からJR上諏訪駅前に立ちました。
  代々木公園の集会に参加した山崎秀訓さん(72)と、集会をテレビで見た毛利大さん(33)が呼び掛けて8月には毎週30人ほども集まるようになりました。
 参加者はやがて10人前後に減りましたが、抗議行動は毎週続けられ、30日に100回目を迎えました。
 
 参加者の1人は、「声は届いているのか不安に思う時もある。しかし人の心を動かす特効薬はない。ここまでやったらやめようという『着地点』は考えたくない」と語っているということです
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脱原発の声届け続ける 上諏訪駅前 抗議行動100回目 
信濃毎日新聞 2014年5月31日
 諏訪地方の有志が毎週金曜日の夕方、諏訪市のJR上諏訪駅前で行う抗議行動「脱原発アクション諏訪」が30日、100回目を迎えた。安倍政権が原発再稼働への動きを強める中で、当初30人ほどいた参加者は10人前後に減った。「原発がない世界を目指そう」という呼び掛けに、素通りする人もいる。それでも参加者たちはこの日も、2年前の夏から変わらぬ訴えを続けた。
 
 午後5時半、3年前に閉じた百貨店のシャッターを背に、10代から70代までの13人が集まった。半分は高齢者、ほかは塾講師や看護師、団体職員らだ。「へぇー(もう)やめるじゃねえか原発」などと書いた十数枚の看板を皆で並べると、ハンドマイクを手に宮坂亨さん(46)=諏訪市=が口火を切った。「今日でとうとう100回目。皆さんが耳を傾けてくれているか分かりませんが、訴え続けます」
 帰宅する人が行き交っていた。駅に降りた市内の男性(72)は「何度か耳にしたと思うがあまり記憶にない。福島のことは気の毒に思う。それでも電気がなければ生活できないし…」。声の方に目をやったものの、歩き去った。
 
 2012年3月、首相官邸前で今も続く金曜日の脱原発集会が始まった。7月16日には作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた東京・代々木公園の脱原発集会に約17万人(主催者発表)が集まった。脱原発アクション諏訪が始まったのは直後の20日だった。
 代々木公園の集会に参加した山崎秀訓さん(72)=同=と、集会をテレビで見た毛利大さん(33)=下諏訪町=が、地方からも声を上げようと呼び掛けた。山崎さんのチラシを見た宮坂さんも加わった。
 8月ごろには毎週約30人が集まるようになった。「マイクを貸して」と声を掛けてくる高校生や、「子どものために言いたい」と加わる30代の母親もいた。「原発を容認しない空気が、社会全体にあった」と毛利さんは振り返る。
 冬を迎えて活動が20回を超えたころ、衆院選で自民党が政権を奪回。安倍政権は一定割合の原発を維持する姿勢を打ち出していく。寒風にさらされて1時間ほど街頭に立つと、指が動かなくなった。活動は40回、50回と数を重ねたが、参加者は1人、2人と減っていった。
 山崎さんは今年3月ごろ、脱原発アクション諏訪の活動に距離を置いた。「同じことを続けても、共感を広げられない。方法を変えた方がいい」と思ったからだという。金曜日に集まる人の中には「急いでも結果は付いてこない」と、山崎さんと異なる考えを持つ人が少なくない。
 山崎さんも「福島の人は今も不安を抱えている。自分ができることは何なのか」と考え続ける。4月から2週間に1度ほど、プラカードを持って朝7時台に上諏訪駅近くの別の場所に立ち、通勤客や学生に呼び掛け始めた。
 30日の上諏訪駅前。集まった人は2、3分ずつマイクを持ち、女性の1人は「安心で安全な社会を子どもたちに伝えるのが私たちの責任」と声を強めた。約1時間後、参加者が看板を片付けると駅前に静けさが戻った。
 道行く人に声は届いているのか―。「不安に思う時もある」と参加者の1人。「人の心を動かす特効薬はない。ここまでやったらやめようという『着地点』は考えたくない」。そう言って駅前を後にした。(熊谷拓也)


JR上諏訪駅前で100回目の抗議活動をする「脱原発アク
ション諏訪」の参加者=30日、諏訪市