2014年5月15日木曜日

被曝による鼻血は「確率的に起こる疾病」

 福島原発の後の鼻血問題が大きな話題になっていることについて、武田邦彦氏が、「軽度の被曝で鼻血が出る筈はないなどと極めつけて、風評被害としてそうした表現を規制しようとしているのはおかしい」、とするブログを発表しました。
 
 低被爆者の中で鼻血を出す人が多いことは良く知られていますが他の病気様に「同じ環境にいて発病する人と、しない人がいる」というのが普通で、全員が鼻血を出すということではなくて確率的に起こる疾病だということです。
 一般の疾病でも、発病は、たまたまその時に抵抗力がなかったり、悪い環境にいたり、ウィルスに濃厚に接触したりした人が選択的に罹患する訳で、決して全員が一様にではありません。
 インフルエンザも全員が掛かる訳ではなくて、罹患率が1%程度未満ということも当然あります。
 
 鼻血は口腔内、鼻腔内、咽頭粘膜、気管粘膜、および食道粘膜の損傷によって起こり、部位は広く口腔鼻腔から食道に及びます。子どもでは鼻腔内の先端部分からの出血も多いと言われています。
 鼻血を誘発するの被曝であったり、セシウムの微粉だったりします。セシウム粒子が粘膜に付着したら継続的に被曝を受けますから、あるお子さんの粘膜の被ばく量は、そこの「空間線量」による被曝の数100倍になることもあるということです
 
 この問題で一番おかしいのは、原発を推進する側のたちが風評被害だとして、鼻血の問題をひたすら抑圧して表面化させないようにしている点です。
 武田氏は、「疑問があることにふたをする」のではなく、逆に「積極的にデータを取り、研究して、まずは健康を守る」ことが大事でそういう風に事態を正確に把握しないことには、「再稼動などは主張できない筈だ」と述べています。それが良心的な人々のとるべき態度です。
 そして全体として常識的な見解は「低線量被曝で鼻血がどの程度の確率で起こるかははっきりしない。これは確率的な疾病であることから、発がんなどと同一の現象である」ということ、「低線量被曝でどのような健康被害が出るかは、母集団が大きい今回の福島の例をしっかり研究していかなければならない」ということになる、と述べています
 
 武田氏のブログは要点的に書かれているので、付属している「音声ブログ」を聞いた方がより詳しく内容を理解することができます。
 
  東京新聞の社説も併せて紹介します。
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お母さんのための原発資料展望(9)
 鼻血・・「確率的に起こる疾病」とは?
武田邦彦 2014年5月14日
福島原発の後の鼻血について、大きな話題になっている。その中で、「よほど理解力がないのではないか」と思われる政治家が多いのにはびっくりする。本当に理解力が不足しているのか、それとも政治的に間違いを押し通そうとしているのか、おそらく後者だろう。
 
多くの病気も同じことだが、「同じ環境にいて発病する人と、しない人がいる」というのが普通だ。それは「火の中に手を入れたらやけどをした」というような「確定的な関係」の影響が少ないことによる。
たとえば、インフルエンザが流行しても、すべての子供が「病気になるか、ならないか」の2つの状態になるのではなく、「10万人の子供のうち、890人がインフルエンザになった」というものである。詳しく調べれば、たまたまその時に抵抗力がなかったり、悪い環境にいたり、ウィルスに濃厚に接触したりしたという原因はあるだろうが、表面的には「確率的」である。
 
放射線の被ばくによる疾病の多くも、現在ではそのように考えられている。特に「確定的な関係」がみられる数100ミリシーベルトより弱い被曝の場合は、「確率的」と考えられている。この考えが正しいかどうかは別にして、少なくとも法律(私たち国民相互の約束)では、確定している。
(1年1ミリシーベルトの被ばくで、日本人全体なら致命的発がんが6000人、重篤な遺伝性疾患が2000人の合計8000人:国立がんセンター発表)
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ところで、「低線量の被曝をしたら鼻血がでるか」というのは、「俺は出なかった」などという話は全くの荒唐無稽で、そのような発言を報道する方も見識が疑われます。ましてもっとも身体が強靭な成人男子の例などはまったくといっても参考になりません。
 
鼻血は口腔内、鼻腔内、咽頭粘膜、気管粘膜、および食道粘膜の損傷によって起こり、部位は広く口腔鼻腔から食道に及びます。子供の場合は鼻腔内のキーゼルバッハからの出血も多いと言われています。低線量で発生する確率が1万分の1の場合、一個人ではほとんど発病しませんが、日本人全体では12000人ほどの患者さんがでることになります。
これは食品安全、環境保全の基本的な考え方なので、専門領域では「10万人当たりの発症者」という整理をするのです。
鼻血を誘発するのが被曝であったり、セシウムの微粉だったりします。セシウム粒子が粘膜に付着したら継続的に被曝を受けますから、あるお子さんの粘膜の被ばく量は、そこの「空間線量」の被曝の数100倍になることもあります。
放射線治療でも鼻血がみられることもあり、全体として常識的な見解は「低線量被曝で鼻血がどの程度の確率で起こるかははっきりしない。これは確率的な疾病であることから、発がんなどと同一の現象である」ということ、「低線量被曝でどのような健康被害がでるかは、母集団が大きい今回の福島の例をしっかり研究していかなければならない」と言うことでしょう。
 
原発を推進してきた人々の責任は、「疑問を持つものにふたをする」のではなく、「積極的にデータを取り、研究して、まずは健康を守る、次に将来に備える」ということでしょう。
「鼻血が出た」という訴えに対して、それを打ち消したり、バッシングするという態度は、およそ指導者ではありません。また公害(多くの人が被害を受ける環境破壊)では、被害を受けた個人は立証の責任はありません。「俺は咳が出た」で十分で、それを検討するのは自治体です。
 
 
(社説) 美味しんぼ批判 行き過ぎはどちらだ
東京新聞 2014年5月14日
 被災者の切実な声が届くのか。それとも風評被害を増すのだろうか。漫画「美味しんぼ」が物議を醸している。何事にせよ、問題提起は必要だ。だがその表現には、もちろん思いやりも欠かせない。
 
 「美味しんぼ」は一九八三年から週刊漫画誌上で連載されており、昨今のグルメブームの発信源とされている。東日本大震災後は、被災地を取り巻く食の問題などにほぼ的を絞って、問題提起を続けてきた。
 前号で、主人公の新聞記者が東京電力福島第一原発を取材直後に鼻血を流す場面が論議を呼んだ。
 そして今週号では、福島第一原発のある双葉町の井戸川克隆前町長や関係する学者らが実名で登場し「大阪が受け入れたがれきの焼却場周辺でも眼(め)や呼吸器系の症状がある」「福島にはもう住むべきではない」などと訴えて、騒ぎはさらに広がった。
 福島県の佐藤雄平知事は「風評被害を助長するような印象で極めて残念」と強く批判した。
 漫画作品だけに、創作部分も多いだろう。表現の隅々にまで、被災者の心と体に寄り添うような細心の注意が必要なのは、言をまたない。その意味で、配慮に欠けた部分もある。
 しかし、時間をかけた取材に基づく関係者の疑問や批判、主張まで「通説とは異なるから」と否定して、封じてしまっていいのだろうか。
 東電が1号機の格納容器から大量の放射能を含んだ蒸気を大気中に放出するベント作業をした後も、住民にそれを知らせなかった。「そうとは知らず、われわれはその放射線を浴び続けてたんです」と、前町長は作中で訴える。
 SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射能の拡散情報が、住民に伝えられなかったのも事実である。
 またそれよりずっと以前から、原発は絶対安全だと信じ込まされてきたというさらに強い疑念がある。それらが払拭(ふっしょく)できない限り、被災者の心の底の不安はぬぐえまい。素朴な疑問や不安にも、国として東電として、丁寧に答える姿勢が欠かせない。情報隠しの疑念こそ、風評の温床なのである。
 
 問題提起はそれとして、考える材料の提供である。登場人物が事故と被害をどう見ていくのか。作品を通じ、作者は社会に訴えようと試みる。行き過ぎはないか。もちろん、過剰な反応も。