2014年7月1日火曜日

川内原発の避難計画には避難弱者対策もない

 火砕流の問題が事実上無視されたまま進んでいる九州電力川内原発は、避難計画においても、伊藤祐一郎鹿児島県知事が、「要援護者の避難については10キロまでの計画はつくるが、10-30キロまでの避難計画は現実的でなく、作っても機能しない」と報道陣に述べるなど、未完成です。これは知事の本音を語ったもので、確かに事実上極めて困難なのでしょう。
 また風向きによっては例えば現在避難先に指定されている鹿児島市も24マイクロシーベルト/時になる、というような問題も指摘されています
  ※ 2014年6月24日 川内・玄海原発 30キロ圏外も高放射線量 
 
 アメリカでは、避難計画が立てられていない原発の稼動は認められません。これは安全基準が住民の被曝を避ける目的で定められていることから当然ですが、なぜか日本ではその問題が曖昧のままにされています。
 日本のように人口密度が高く道路の幅も狭いところでは、実効性のある避難計画は立てられないのが普通ですから、「その場合には原発の再稼動はできない」という原則を早く確立すべきです。
 
 30日のロイター通信が、川内原発の避難計画に伴う問題を特集しました。
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焦点:川内原発地元の避難計画に批判噴出、弱者対策なく不安募る
ロイター通信 2014年 06月 30日 
[いちき串木野市(鹿児島県) 30日 ロイター] 九州電力川内原発の再稼動をにらみ、鹿児島県と立地周辺自治体が策定した避難計画に対し「事故が起きても役に立たない」との批判が、地元の住民や災害対策の専門家から噴出している。
特に批判が集まっているのが、高齢者や乳幼児など「避難弱者」への対応だ。行政による対策はほとんど手つかずとの指摘も出ており、年内に川内原発が再稼動するとみられる中、不安を募らせる近隣住民や周辺自治体から再稼動に反対する声が強まっている。
 
<避難計画、細部詰められない行政>
「弱者、要援護者に対する態度をしっかりと考えてほしい」──。今月18日、原発が立地する薩摩川内市に隣接するいちき串木野市(人口約3万人)で、県の防災計画と市の避難計画に関する住民説明会が行われた。地元の住民約130人が詰めかける中、市内で社会福祉施設を経営する江藤卓朗さん(57)が、説明会に出席した県、市の担当者に迫った。
 
いちき串木野市は東シナ海に面した漁業の町。さつま揚げを作る水産加工の工場や焼酎造りの蔵も建ち並び、「海岸線の夕日は最高」と地元住民が自慢する。
その住民らは川内原発に事故が発生した場合、県南側の南九州市、指宿市、枕崎市、鹿児島市の4市に避難するよう避難計画で指定されている。
だが、避難先の多くが学校や体育館などで、高齢者の長期避難には不向きな場所だ。江藤さんは「(老人向けの)施設が避難先の各市でたくさん余っているという話は聞いていない」と述べ、不安感を募らせた。県や市の対応に懸念を隠さない住民からの問い掛けには、実は伏線があった。
 
鹿児島県が2013年度に策定した原子力防災計画では、原発から30キロ圏にある病院の患者や、社会福祉施設に入居するお年寄りなど「要援護者」の避難計画について、県が病院や社会福祉施設に対して策定を求めている。
ところが、県庁関係者によると、伊藤祐一郎知事は今月13日、「10キロまでの計画はつくるが、30キロまでの避難計画は現実的でなく、作っても機能しない」と報道陣に語った。
同県の担当者によると、病院・社会福祉施設の避難対策は、対象施設が7カ所ある5キロ圏内では策定済み。また、同10カ所の5キロ10キロ圏では7月中の策定にめどをつけた。
しかし、10キロ30キロに範囲を広げると、対象施設は223カ所に急増する。このため、受け入れ先となる病院・施設の確保など、計画の難易度が一気に上がってしまうという現実が待ち受けていた。
 
30キロ圏までの要援護者の避難計画を鹿児島県は放棄するのかどうか。同県原子力安全対策課の四反田昭二課長(59)は、ロイターの取材に対し「考え方を整理している。(10キロ以遠の対策は)国と協議させてもらいたい」と述べた。
 
<宙に浮く弱者対策、高まる住民の不安と反発>
10キロ以遠の計画について「作らないわけにはいかないのではないか」との質問に対し、四反田課長は「今までの考え方は、ずっとそう来ている」と説明しながらも、「受け入れ施設に余裕があるかというと、大勢の人を受け入れるスペースは難しい」とし、理想と現実にはギャップがあると説明した。
いちき串木野市の説明会では、1030キロ圏の対要援護者の避難計画を作る時期について質問された県の担当者は「検討していく」との回答を5回繰り返した。年内にも川内原発が再稼動するとみられる中で、のらりくらりとした説明を繰り返す行政側。対照的に、住民の懸念は膨らむ一方だ。
 
原発で重大事故が発生した場合、「避難弱者」になるのはお年寄りばかりではない。放射能被ばくの危険性が大人よりも深刻な幼い子供を預かる保育園職員は、どのように感じているのだろうか。
市の計画では、病院などと同様に保育園でも、計画策定が求められている。市の計画書は「保護者への生徒等の引き渡しを行うなど、学校長が定める避難計画に基づき対応する」としている。学校や保育園などに計画づくりを「丸投げ」したともとれる内容だ。
いちき串木野市内の保育園に勤める児島喜代子さん(75)は「計画は立てていない。市役所から計画書もいただいていない」と述べた。保育園は原発から約13キロ。ゼロ歳児から学齢前の乳幼児60人近くを預かる児島さんは、避難計画がない中での原発再稼動について「反対する」と語った。
同市では、「市民の生命を守る避難計画がない中での再稼動に反対する」との署名活動が5月に始まり、今月24日までに市人口の半分を超える1万5464人から署名が集まった。児島さんも署名したという。
署名活動の代表を務める石神斉也さんは元中学校教員で、昭和8年(1933年)生まれの81歳。69年前に経験した鹿児島大空襲が忘れられないという。
 
「鹿児島市にいたが、(市内の)甲突川に油脂焼夷弾が落ち、川が燃えて流れていた。怖かった。郷里の市来(現いちき串木野市)に避難した。当時は疎開という言葉だが、いまは(原発)避難。二度とそうしたことを子供たち、孫たちに経験させたくないという思いで代表を引き受けた」とロイターの取材に語った。
市民からの疑問や不安を受けて、いちき串木野市議会は26日の本会議で、伊藤知事に対し、「市民の生命を守る実効性のある避難計画の確立を求める意見書」を全会一致で可決した。避難計画自体は市が策定するが「県が調整すべきことが多い」(市議会事務局)ため、知事への意見書となった。
このほか、市内の一部が30キロ圏に入る姶良(あいら)市議会は昨年10月、「実効的な避難計画も策定されていない状況での拙速な原発再稼動に反対する」と決議している。
 
<福島の反省、避難計画が試金石>
2011年3月に発生した東京電力福島第1原発事故では、事故後の避難の過程で福島県民に多くの犠牲と負担をもたらした。
同年3月末までに20キロ圏の病院や介護老人保健施設などで、少なくとも60人が死亡。飯舘村や川俣町など、後になって高い放射線量が確認された地域へ多数の住民の避難する事態が発生し、浪江町や双葉町などで20%を超える住民が6回以上の避難を強いられた。
 
2年前に公表された国会事故調報告書は、「政府は、住民に判断の材料となる情報をほとんど提供していない中、避難の判断を住民個人に丸投げしたともいえ、国民の生命、身体の安全を預かる責任を放棄した」と痛烈に批判した。
地震・津波対策といった発電所設備の強化に加え、実効性ある防災・避難計画を事前に準備しておくことの重要性が、福島事故から得られた教訓だ。国から県、市町村レベルに至る計画がどの程度、充実しているかは、行政側がどれだけ福島事故から学んだのかを測るバロメーターといえる。
原子力規制委員会の田中俊一委員長は、再稼動と防災計画との関係について「車の両輪になる」(2013年2月の記者会見)との認識を示している。
 
<リスク過小評価を専門家が問題視>
ところが、再稼動一番乗りと目されている川内原発の地元自治体が策定した防災・避難計画は、実効性がある内容とは言えないとの指摘が避難問題の専門家から出ている。
東京女子大の広瀬弘忠・名誉教授(災害・リスク心理学)は、ロイターの取材に対し、鹿児島県が策定した防災計画の仕上がり具合について「及第点はつけられない。極めて現実味の薄い前提に基づいている」と語った。端的な具体例として広瀬教授は、県が5月29日に公表した避難シミュレーションを挙げる。
 
福島事故を契機に、政府は原発災害に対応する重点区域を刷新。事故以前は原発から半径8─10キロ圏だった対象地域を、12年10月末に、半径5キロ程度の「予防的防護措置準備区域(PAZ)」と、同30キロ程度の「緊急時防護措置準備区域(UPZ)」の2段階に色分けして拡大した。
その上で、国の指針は、原発施設内で電源喪失が一定時間以上続くなどの事故が発生した場合、PAZ住民を先行避難させ、施設外への放射性物質の放出へと事態が進展した時点で、UPZ住民を避難させるという2段階方式を取るとしている。
とはいえ、住民自らが情報収集した上で、避難すると判断する行動を行政側が止めることはできない。鹿児島県が公表した避難時間シミュレーションでは、13通りのシミュレーション結果のうち、11通りは自主的に避難する住民の割合が40%を占めるという前提で避難時間を算出している。
広瀬教授は、県のシミュレーション・パターンの大半で自主避難の割合が40%としている点について「40%に止まるという前提はありえない。見積りが低すぎる」と指摘する。五感で感じることができない原子力災害に直面した際の住民の心理的葛藤を重視していないという見立てだ。
 
川内原発のPAZの人口は5000人弱で、UPZだと21万人。人口が圧倒的に多いUPZ住民が自主的避難を始める比率が高くなるほど、道路の混雑が増し、避難完了までの時間が延びる。移動時間が長くなるほど、被爆するリスクが高くなるので、自主避難の比率を高くすることは、行政側には都合の悪い結論を導き出すことになる。
最大死者32万人と想定した南海トラフ地震でのシミュレーションを策定したメンバーと交友関係がある広瀬教授は「彼らは、考えられないことを積み重ねて、想定外の想定外を考えている」と述べた。
その上で、同教授は「原発の場合、(想定)範囲をものすごく狭めている。(推進側は)2度目の福島はないと思っているが、建前上は事故が起こりうるとの前提に立つ必要があるので、避難計画も作らざるを得ない。だからなるべく想定を縮小する」と語った。
 
<チェルノブイリ体験談に危機意識>
川内原発から直線で16キロ離れた、海抜約400メートルに位置する冠嶽山鎮国寺(いちき串木野市)という真言宗の寺がある。執事を務める僧侶、仁賀善友さん(57)がロイターの取材に応じた。「真言密教は国際色が強い仏教」(仁賀さん)で、鎮国寺にはイスラエルやベルギーなどから常駐したり母国と行き来している外国人がいるという。
山中にある寺からは川内原発を見ることができるという。北薩地方では、秋から春にかけて北西の風が吹くことが多く、その場合、川内原発の風下に建つ鎮国寺には、事故が発生した場合、「風速5メートルなら1時間くらいで放射性物質が到達する」と仁賀さんは語る。
原発に近い地域に住むリスクについて、以前から「事故があったら大変だ」とは感じていたが、危機意識を強めたの4年前だ。
日本で活動するウクライナ出身の歌手、ナターシャ・グジーさんが、福島事故の半年前に鎮国寺を訪れ、チェルノブイリ原発事故の体験を語ったことがきっかけだった。
「幼いころの(事故後)3日間、何も知らされずに外で遊んで被爆した。急に『逃げなさい』と言われ貴重品だけもって逃げたきり、帰れなかった」との体験談を聞いたという。
 
鹿児島市出身の仁賀さんは、県内の地形条件が避難に適さないと強調する。「薩摩半島は南北に山が連なり、鹿児島にはほとんど平野がない。大きな道路は、国道270号線、国道3号線、鹿児島から指宿に行く道(国道226号線)があるが、事故や工事があるといつも渋滞する。万が一、薩摩川内、いちき串木野、日置(市)の住民が殺到したら大パニックになると思う」と話した。
 
<難民キャンプに満たない避難所>
薩摩半島の南端には指宿市が位置する。砂蒸し温泉で有名な同市は、いちき串木野市の住民の避難先に指定されており、避難先の一つに「物袋(もって)地区公民館」がある。
2階建てで広さは約200平方メートルだが、いちき串木野市の計画ではここに90人近くが避難する。計画上の収容人数は100人で、1人当たりのスペースは2平方メートル(約1.2畳)。駐車スペースは小型車2台がやっとの広さだ。
指宿市の担当者によると、他国からの武力攻撃に備える国の「国民保護計画」に基づき、1人当たり2平方メートルとして100人収容としたが、国連難民高等弁務官事務所が定める難民キャンプの設置基準(同3.5平方メートル)を下回る。物袋地区の自治会長を務める松澤義人さん(62)は、「90人、100人が寝泊まりするのは絶対に無理だ」と語った。
 
<川内原発元幹部が求める国の関与>
川内原発で次長(副所長)を務めた経験を持つ元九電社員の徳田勝章氏(76)は発電所の立地を進める仕事が長かった。「原子力立地は反対派と会社との間に入る。反対派が主張することを、本社に向かって問題提起するのが仕事だった。推進派と反対派の中間にある仕事で、おもしろかった」と話す。
徳田氏については、地元の反対派も「福島事故を非常に反省している人」と評価する。徳田氏自身が川内原発から約5キロの地域に住み、地区の代表として避難計画作りにも関わる立場にある。同氏は、自治体が作る避難計画について、原子力規制委員会がもっと関与すべきだと指摘する。
「規制委員会・規制庁が中心になって防災計画、避難計画について県・市との合同の評価を行うべきだと思う。プラントの安全性に加え、災害が起きた時の防災計画は国民、地域住民が求めていることだから、国の関与が必要だ」と強調した。
 
規制委の田中委員長は、立地自治体の防災・避難計画を評価する会合を開くべきとの声をどう受け止めるのか──。
25日の記者会見で田中委員長は、質問に対し「(規制委の)仕事として位置づけられていない。専門的なサポートはするが、評価が適切にできるかどうか議論が必要だ」などと話し、前向きな姿勢は示さなかった。 (浜田健太郎 編集:田巻一彦)