2014年12月27日土曜日

目を疑う非論理的記述 原発維持政策「中間整理」

 衆院選で与党が現状を維持したことから、安倍政権が原発再稼動推進に向けて一層拍車がかかるのは明らかです。
 一旦事故を起せば日本のかなりの部分が壊滅的な打撃を受けるのが明らかなのに、その危険を冒してまで何のメリットもない原発の再稼動が何故公然と叫ばれるのでしょうか。そして社会は何故それを許しているのでしょうか。
 
 無理が通れば道理が引っ込みます。
 政治家・官僚・業界・学界にまたがる原子力ムラがこれまで原発で味わってきた「蜜の味」がどうしても手放せないという「妄執」と、長年電力会社の広告費で篭絡されてきたマスメディアが批判できないという異常さが絡まって、この再稼動の「没論理性」を生み出しています。
 これでは後世に対する言い訳など出来る筈がありません。
 
 琉球新報が26日、「原発維持政策 目を疑う非論理的記述」と題する社説を掲げました。
 経産省総合資源エネルギー調査会原子力小委員会がまとめた「中間整理」について、「一読、目を疑った」と書き出しています
 ブログなどとは違うので抑制的に書かれていますが、同委員会が世論を無視した形で、原発を再稼動させ、古い原発も使い続け、リプレースもし、更には新設もさせたいと望む経産省の意のままに、非論理的な説明を展開していることを批判しています。、
 
 原発を存続させることは日本の存続を左右しかねない問題です。
 
 社説は「総選挙で原発はほとんど論戦がなされなかった。安倍政権が白紙委任を受けたわけではない。原発の是非を公明正大に論議すべきだ」と結んでいます。

 京都新聞の社説も併せて紹介します
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(社説) 原発維持政策 目を疑う非論理的記述
琉球新報 2014年12月26日  
 一読、目を疑った。経済産業省の総合資源エネルギー調査会原子力小委員会がまとめた「中間整理」のことだ。そこにはこうある。
 「原子力の将来像が明らかでなければ(廃炉の)判断がしにくい」
 何かの間違いであろう。論理的には「放射性廃棄物の最終処分方法が明らかでなければ、原発存続を判断するのは困難」と書かねばならない。
 使用済み核燃料を再処理して新たな燃料とする核燃料サイクルは既に破綻している。地底に埋めるといった高レベル放射性廃棄物の最終処分も、数万~数十万年を要する途方もない計画であり、許容する地域はまずあるまい。中間貯蔵ですら見通しが立ったとは言い難い。八方ふさがりだ。こんな状態でなぜ廃炉が困難なのか。むしろ維持が困難なはずだ。
 安倍政権は原発の再稼働に意欲を示し、世論の反発を受けている。それなのに中間整理は、廃炉後に敷地内に新しい原子炉を設置する建て替え(リプレース)に言及している。再稼働どころか新規建設をしたいということだ。「原発依存度を可能な限り低減させる」とする政府のエネルギー基本計画と矛盾するのは明らかだ。
  「原発が果たす役割は再生可能エネルギーと同様、非常に大きい」とも記すなど、原発維持への願望が随所ににじむ。原発依存度を低減すると人材が不足し、安全確保ができないとする本末転倒の論理も散見される。原発維持ありきに偏した議論と言わざるを得ない。
 現存する原発は原則として運転開始から40年で順次、廃炉になる。新規建設が途絶えればいずれなくなるのは理の当然だ。原発の建設・維持から莫大(ばくだい)な利益を得てきた「原子力ムラ」の住人たちがそんな現状に危機感を募らせていたのは想像に難くない。
 小委員会の人選は原発利用に前向きな人物が大半を占めた。しかも経産省は検討過程の公開にも消極的で、ネット中継は拒否した。
 「将来の脱原発依存」の方針は原発事故後、国民が参加する各地の会合を経て決まったはずだ。今も世論調査では国民の過半が脱原発を求めている。それなのに、透明性を欠いたまま、脱原発をかなぐり捨てる論理が説得力を持つはずがない。
 総選挙で原発はほとんど論戦がなされなかった。安倍政権が白紙委任を受けたわけではない。原発の是非を公明正大に論議すべきだ。


(社説) 原子力政策  曖昧な議論で進めるな 
京都新聞 2014年12月26日
 こんな曖昧な議論で原子力政策を進めていいのだろうか。
 経済産業省の原子力小委員会がまとめた「中間整理」のことだ。安倍政権が鮮明にしだした原発回帰の方向を随所ににじませる一方で、脱原発が半数を超える国民世論を意識してか、具体論に踏み込まない項目が多い。
 小委の委員長自身が「原子力政策の問題点は出たが、答えは出ていない」と述べている。なのに政府は示された課題を踏まえ、年明けから関連する政策の検討に入るという。
 初めにスケジュールありき、ではないのか。そもそも経産省は福島第1原発事故以前から原発推進を担ってきた。選ばれた小委のメンバーは、原子力利用に前向きな有識者が大半だ。議論の舞台や進め方に、国民から疑念を持たれても仕方あるまい。根本的に改めるべきだ。
 6月に議論を始めた小委に求められたのは、原発や再生可能エネルギーなど将来の電源構成に道筋を付けること。しかし実際は多くの課題が委員から出され、「テーマの頭出しに終わった」という。
 そうした中で中間整理は、電力の安定供給や地球温暖化対策のためとして、原発の活用方針を明記する。廃炉に伴う自治体への影響の緩和策や電力会社の負担軽減策のほか、廃炉後に同じ敷地で新しい原子炉を建て替える(リプレース)など、原発推進の意見をちりばめている。
 しかし、経産省が期待するようには、具体的には書いておらず、曖昧な表現が多い。ある委員は「衆院選で原発(推進)政策が承認されたとは、政府与党は思っていないはずだ」と慎重になった背景を説明する。
 安倍政権はエネルギー基本計画で原発を「重要なベースロード電源」と位置づけたが、その前に「原発依存度を可能な限り低減させる」方針をうたっているはずだ。しかし、小委では低減に向けた議論はなかったという。委員の一人は「福島の事故前に戻ってしまった感じだ」と嘆いている。
 原発事故の犠牲や教訓を、脇に置いた議論から何が得られるというのか。民主党政権下だったが、国民が参加する討論型世論調査を各地で開き、将来の脱原発依存を政府方針として決めた経緯を忘れたかのようだ。
 省庁が有識者の議論を使い、都合の良い政策に誘導するやり方は、もうやめるべきだ。国民を置き去りにした議論では、将来に禍根を残すことになる。