2015年6月4日木曜日

福島第一原発の作業の実態 元作業員が7日に講演

 都内の郵便局定年退職後福島原発の三次下請会社に就職し、昨年8月から今年4月末まで全面マスク等を着用しながら作業を続けた池田さんは、休日が日曜日だけになって週末に東京の妻のところに戻れなくなったことなどから退職しました。
 そして「もう現場に戻らない。東電の発表でなく、生の声を伝えよう」と決意して、7日に実名で現場作業の実態を話すことにしました。
 
 何よりも驚くことは、過酷な労働であるにもかかわらず、手当てが1日わずか1万円で、危険手当が4千円という安さであることです。東電はそれよりも遥かに高額な賃金を支払っているのですが、上位の元請・下請会社にピンハネされる結果です。そのため三次下請けはまだ相対的に上位の方であるにもかかわらずこの額になっています。
 
 危険手当(日額)については、東電は13年12月からマスク着用なら万円、ボンベやアノラック着用なら万円、タングステンベスト着用なら万円以上元請に支払っている筈です(共産党 塩川哲也衆院議員HP2014.9.4より
 この滅茶苦茶な中間ピンハネは以前から問題になっていましたが、いまだにその実態は変わっていないということです。
 東電の工事代金の原資は電気料金であり税金です。それがそんな風に横取りされているわけです。
 
 放射線の管理は比較的徹底されていたようですが、休日が契約とは違っても、「上意下達でものが言えない軍隊みたいな世界」だったということです
 
 池田さんは八王子市で開かれる福島現場の「現状や労働環境を聞く会」(7日)で講演します。
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福島第一原発 事故処理実態伝えたい
 元作業員・池田さん八王子で7日講演
東京新聞 2015年6月3日
 東京電力福島第一原発で事故現場の処理に携わっていた元作業員男性を招き、現状や労働環境を聞く会が7日、八王子市で開かれる。実名で話す世田谷区の池田実さん(62)は「誰かがやらなくてはいけない仕事。大変な現場を経験した者として情報発信したい」と話す。 (村松権主麿)
 
 池田さんは高校卒業後、都内の郵便局で勤務し、二〇一三年三月に定年退職。再雇用も考えたが、「原発事故は日本の大きな転換点。事故現場で働き、役に立ちたい」と、ハローワークで仕事を探した。六十歳以上の募集は見つからず、昨年二月から福島県浪江町で除染作業に従事した後、原発で作業をする三次下請けの会社に採用された。
 昨年八月から今年四月末まで九カ月働き、その大半は、手付かずだった施設の整理を担当。書類や機器などを分別し、コンテナに収納した。早朝、いわき市の寮を車で出発し、約五十分かけて午前六時半ごろ原発に到着。本人確認をして防護服に着替え、同九時から昼ごろまで作業をした。
 顔に全面マスク、胸には線量計。一日の被ばく許容量は〇・八ミリシーベルト。その五分の一を超えるとアラームが鳴り、一日に三回鳴ると退避する決まり。その経験はないが、一回鳴ったことは計三日あった。
 「被ばく量管理はしっかりされていた」が「放射線は痛みもにおいもない。時限爆弾を抱えていくよう。将来、『爆発』しない保証はない」と不安を感じる。死亡事故もあり、危険と隣り合わせだが、労働条件は決してよくないという。
 
 池田さんの場合、一日一万円の賃金と危険手当四千円で、月の手取りは約二十七万円。ボーナスはなく、年収では郵便局の再雇用とあまり変わらない。「危険なのに賃金が安く、危険手当などに格差がある。多重の下請け構造が問題。国は雇用や労働環境の整備にも関与すべきだ」
 四月初め、担当の仕事が変わった。使用済みの防護服を圧縮した袋を開き、小分けする作業で、休みは日曜だけ。週末に妻(61)の待つ東京に帰れなくなった。「土日と祝日が休みの契約とは違った。上意下達でものが言えず、軍隊みたいな世界」。八畳間に二人で寝起きする生活に苦痛を感じ、「帰ってきて」という妻の言葉で福島を離れた。
 
 今年一月と五月、労組に関わる知人らの依頼で、原発での経験を話す会に匿名で出席した。「もう現場に戻らない。東電の発表でなく、生の声を伝えよう」と今回、実名で話す決心をした。
 八王子の会の題名は「いま福島原子力発電所は?~事故処理に働く人の生の声を聴こう」。北野市民センター(京王線北野駅北口)で午後二時~四時半。資料代五百円。問い合わせは、同市を拠点に市民講座を企画している団体「まなび・つなぐ広場」=電070(5567)0168=へ。