2015年11月16日月曜日

16- 原爆は人体実験? (小出裕章ジャーナル)

 今回の小出裕章ジャーナルは、「広島・長崎の被爆者は人体実験されたのか、がテーマです。
 原爆傷害調査委員会ABCCは診療所を装っていましたが、実際は放射線の人体に与える影響の調査が目的で、治療は全くしなかったということです。治療をすると影響が変わるからということで、実に冷酷な考え方です。
 国際赤十字からの救援の申し入れも排除しています。
 
 文中の太線部は原文に従っています。
 ただし * * * * * 以降については全箇所が太線になっていますので、そこは止めて代わりに主要な人物:「重松」氏の箇所を青字にしました。
 
 原文では「小出さん」となっていますが、転載するに当り 「西谷」(氏)と整合するように「小出」(氏)に直しました。
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原爆は人体実験「治療してしまってはもう研究自身ができなくなってしまうということですから、治療は一切しないということになっていました」
第149回小出裕章ジャーナル2015年11月14日
西谷文和:  小出さん、今日はズバリですね、今日のテーマ「広島・長崎の被爆者は人体実験されたのか?」ということで題してお聞きしたいと思うのですが、私最近ですね『少女・十四歳からの原爆体験記』、これ橋爪文さんという方が書かれている高文研から出てるんですけど、この本を読んだんですが、橋爪さんがおっしゃってるのは、アメリカは原爆被害があまりにも酷かったので、海外からの広島・長崎への入国とかジャーナリストの報道を禁じたというふうに橋爪さんおっしゃってるんですが、これは本当なんですよねえ。
小 出: そうです。要するに、米国が日本を占領していたわけですから、全てはその米国の指揮下にありましたので、広島・長崎の原爆報道というのは外に出すことが禁じられました
西 谷: これ、国際赤十字からの救援も断ったということですよ。
小 出:  私は細かいことは知りませんけど、多分そうだったんだと思います。
西 谷:  被爆者を治療しようというそういう団体も断ってしまったと、アメリカはね。そしてですね、広島への進駐軍がですね、広島の山の上に原爆傷害調査委員会を立てた。これは後にABCCと呼ばれたということなんですが、この橋爪さんの体験によると、少年達・少女達はパンツまで脱がされて丸裸にされて、いろんな角度から写真を撮られたと。治療はしなかったということですが。
小 出: そうです。
西 谷: これはABCCは治療する機関ではない…
小 出: 治療してしまっては目的が果たせないのです。ABCCの仕事というのは、被爆者にどんな病気が出てくるかということを調べるのが彼らの仕事でした。そのためには被爆者に出てくる病気と被ばくをしなかった人に出てくる病気をずっと追跡して、どういう結果になるのかということを調べるしかなかったのです。
    調べて、例えば被爆者に病気が出た時に、それを治療してしまってはもう研究自身ができなくなってしまうということですから、治療は一切しないということになっていました。基本的には白血病であるとかがんであるとか、その他の病気がどんなふうに被ばくをしなかった人と違って表れてくるかということをずっと調べ続けました。
西 谷:  橋爪さんが体験されたことですけどね、被爆者亡くなりますよねえ、そうすると、ABCCが待機していて、霊柩車からそっと死体を抜き出して、内臓だけを取り出して返したって書いてあるんですよ。もうまさに犯罪じゃないですか。これはねえ。そして、データを全てアメリカが持ち帰ったんですねえ。
小 出: そうです。はい。
西 谷: ABCCは今、日米共同の放射線影響研究所、略称・放影研になった。放影研の資料ではですね、被爆者のことをサンプルとかいうふうに呼んでるらしかったんですけど。開いた口が塞がらんなと思うんですが。
小 出:  医学というのは、そういうことをずっとやってきたわけですね。特に戦争中というのは、日本は731部隊というのを満州につくって中国の人達を散々実験道具にして、731の時には中国の人達、「丸太」と呼んだと。
西 谷: チフスの菌を植え付けたりしたんですよねえ。
小 出: はい。そうです。
西 谷: このABCCですね、これと、いわゆるIAEAですね、国際原子力機関についてのお伺いしたいのですが。ABCCはアメリカがつくった施設ですが、その今言ったようにデータも公表しなかったんですけど、それに対してIAEAはですね、1957年に設立された国連の機関ですよね? このコーナーでも取り上げましたが、この2つは結構つながっているのでしょうか?
小 出:  組織としてはもちろん別の組織です。今、西谷さんがおっしゃって下さったように、ABCCは米軍の研究所ですし、IAEAはいわゆる国連の傘下にあるわけです。
    ただ、IAEAの目的というのは、米国を含めたいわゆる核保有国というものが、平和利用ということを標榜しながら世界中に原子力をバラまいて金儲けをするということはひとつの目的ですし、バラまいてしまうと世界の他の国々は核兵器をつくるようになってしまうので、それをIAEAが監視してつくらせないというそういう2つの役割を持っていたのです
西 谷: なるほど。原発だけで儲けたくて、核兵器をつくらせないようにする。
小 出: そうです。大変矛盾した役割なんですけれども、それはまあ言ってみれば米国を中心とした現在の世界を支配している人達が、支配を一層強めるためにつくった組織なわけです。ですから、まあ米国の思惑が色濃くIAEAには初めからあったし、今もあるということです。
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西 谷: これ、小出先生にこの前も聞きましたが、要はアメリカは濃縮ウランが余っていたので、これで商売をしたかったというのもあるんでしょうねえ。
小 出: もちろんあります。核兵器用に、ウランを濃縮してたくさん保有してしまったのですけれども、それが余ってしまったし、濃縮工場というのをつくってしまったのですが、それを動かせばどんどんどんどん濃縮ウランができてきてしまって、それを海外に売りつけて金儲けをしようと、彼らは思ったのです。
西 谷:  濃縮工場は、マンハッタン計画で広島型原爆をつくるためにつくられた分ですね?
小 出: そうです。おっしゃる通りです。
西 谷: このABCCのですね日本側の代表を務めた方に、重松さんという方がおられるんですが。この方はですね、チェルノブイリの原発事故の時に安全宣言を出したということなんですが、これ一体どういうことなんでしょうか?
小 出: まあ、重松さんという方、トータルで人間を評価するというのはあまり良いことではないかもしれませんけれども、でもABCCにも深く関わり、IAEAにも深く関わり、いわゆる被爆者問題にも関わり、それも全ていわゆる国家の側からの要請を担って関わってきた方ですので、いわゆる原子力の中心にいた方だった。
西 谷: 研究者の中心におられたわけでしょうか?
小 出: はい、そうです。
西 谷: なんか人格なき学問っていうのがありますけど。
小 出: そうですね。そんなふうに思ってしまいます。
西 谷: 思ってしまいますねえ。要は、このチェルノブイリの時に大したことないと言ったので、現地の人も安心したということだったですもんねえ。
小 出: そうです。行って、重松さんなんかは「こんな被ばくではなんでもない」ということを言って歩いていたのですが、やがて甲状腺のがんが多発して、結局はIAEAもチェルノブイリの事故のために甲状腺が多発したということを認めざるを得なくなりました。
西 谷: そのチェルノブイリの事故の教訓を福島に活かさないかんのですが、福島でもなんか似たようなことがありましたよねえ。
小 出: はい。今現在もそうですね。原子力を進めてきた人達は、福島で今、甲状腺がんが多発しているのですけれども、それは被ばくとの因果関係がないというようなことを主張しているわけです。ただまあ年が経てば、いずれにしても事実は明らかになるはずだと私は思います。
西 谷: この重松氏が、もしご存知だったら教えて欲しいんでが、どうしてチェルノブイリのその委員長に選ばれんでしょうかねえ。
小 出: まあ、原子力を進める推進側の中心にいたわけですから、そういう人を使って調査をするということはもちろん日本もそうしたかったわけですし、IAEAとしてもそうしたかった。だから、重松さんがなったということだと思います。
西 谷: この話を聞いてるとですね、全然、その歴史が繰り返されるあなと思うんですけど。
小 出: おっしゃる通りですね。
西 谷:  結局は、お友達みたいな人を集めてお墨付きを与えて、そして進めていくという。これ、今の規制委員会でもそうですもんねえ。
小 出: そうですね。いわゆる原子力ムラ、私は最近、原子力マフィアと呼んでるところに人々が集まってきているわけですけれども、そういう人々があっちに行ったりこっちに行ったりして、それぞれの組織を支配するという形になっているわけです。
西 谷: そしてですね、最近は研究費をカットしてるじゃないですか、国が。だから、その研究費の欲しさにですね、なんかそこに飛びついてしまう方もおられるのではないかと危惧しますねえ。
小 出: はい。もちろんそれもありますし、今度は防衛庁が軍事的な研究の予算をばらまくというようなことをやり始めまして、それに対しても研究者がまた群がっていくということになっています。
西 谷:  防衛装備庁なんていうのをつくりましたからねえ。
小 出: はい。そうです。
西 谷:  本当に、なんかこの国はなんか市民が願ってることの逆の方へ逆の方へ行ってるような気がしますが。
小 出: はい。私は自分のことを戦後世代と呼んできたのですけれども、今やそうではなくて、私が実は戦前世代にもう今は生きてるんだと思うようになりました。
西 谷:  私も何となくそんな暗い気持ちになってしまいますが、何とかここで踏ん張ってですね、本当にそうならないように頑張っていきたいですねえ。
小 出: はい。ぜひそうしたいと思います。
西 谷: どうも今日は小出さん、ありがとうございました。
小 出: いえ、ありがとうございました。