2016年4月27日水曜日

チェルノブイリ事故から30年 科学が進んでも原発事故は起きると

 26日でチェルノブイリ原発事故から30年になります。共同通信がベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさん(67)をインタビューしました。
 彼女の反戦ドキュメンタリーの一部は映画化や舞台化されて好評を博しました。1997年に出版された『チェルノブイリの祈り』は、ロシアの大勝利賞、ドイツの最優秀政治書籍賞などを受賞しましたが、ベラルーシでの出版は独裁政権による言論統制のために取り消されました。
 彼女は独裁政権からの迫害を避けるために、2000年~2011年の間祖国を離れ、その間の2003年には来日しています。
 
 チェルノブイリ原発事故はソ連時代に起き、その後にベラルーシとウクライナはソビエト連邦から独立しました。同原発はベラルーシとウクライナの国境の近くでほんの少しウクライナに入り込んだところにありました。
 ベラルーシは日本の国土の半分ほどの広さで、その13%が放射能で汚染され、その汚染地域にも人口の1割強の110万人が住んでいます。
 ベラルーシではいまチェルノブイリという言葉は禁止されていて、原発事故の風化が図られています。反原発運動も環境保護運動も禁止されているということです。
 このこと一つとっても独裁政権(ルカシェンコ)が如何に異常なものであるのかが分かります。
 
 しかし日本でも程度の差はあれ実は似たところがあります。福島県内では放射能の恐れを口にすることは事実上タブーとなっています。それは政府・行政によって主導されたものですが、いまでは住民の間の「同調圧力」の形態をとっています。
 戦前の「向こう三軒両隣り」の監視体制が思い起こされます。
 結果的にそれが醸成された背後には、政府・財界・原子力ムラの「放射能問題を一刻も早く風化させよう」という強い意志があったからだ、という点は絶対に見落としたり忘れたりしてはならないことです。 
 
 東京新聞はもう一つ、ウクライナの首都キエフの教会で行われたチェルノブイリ事故犠牲者の追悼式の様子をレポートしています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「科学技術進んでも原発事故は起き得る」 
 ベラルーシのノーベル賞作家が警告
東京新聞 2016年4月26日 朝刊
 旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故から二十六日で三十年。最大の被害を受けた隣国ベラルーシ共和国の作家で、昨年ノーベル文学賞を受賞したが共同通信のインタビューに応じ、「科学技術が進んでも原発事故はまた起こり得る」と、福島第一原発事故を念頭に警告した。
 
 チェルノブイリ事故で被害に遭った人々の証言を集めたノンフィクション作品などで知られるアレクシエービッチさんは、ベラルーシの首都ミンスクの自宅で「原発事故とは何か。三十年たってもその本質を理解している人はいない。私たちは今もこの問題の蚊帳の外にいる」と述べた。
 
 ベラルーシは事故で放出された放射性物質の約六割が降下したとされ、約二十万平方キロの国土の13%が今も汚染されている。汚染地域には人口の一割超の約百十万人が住んでいる
 「政権はチェルノブイリという言葉を使うのを事実上禁止している。事故を克服するのではなく、風化させて無かったことにしようとしている」
 一方で「私の本は、国内で出版できないが、ロシアから持ち込まれ少しずつでも読まれている。この流れは止めることはできない」とも。
 
 同じ原子力災害の第一原発事故に思いをはせる時、忘れられない言葉が頭をよぎる。
 二〇〇三年に講演で日本を訪れた時のことだ。日本の原発関係者から「チェルノブイリ事故は旧ソ連の人が怠惰だったから起きた。技術大国の日本ではあり得ない」と言われた。その八年後に第一原発事故が起きた
 「二つの事故で分かったのは科学技術が進んでいても、真摯(しんし)な態度で管理していても原発事故は起こり得るということ。むしろ技術が進むほど、大きな事故につながるのではないか。人間が自然に勝つことはできないのだから」
 
 原発事故の被災国であるベラルーシでは今、初めての原発建設が進んでいる。建設中の二基のうち1号機は一八年に完成、稼働する計画だ。
 国民は反対しないのか、と尋ねると「反原発運動も環境保護運動も禁止されていて、大統領の独断に国民は反対できない。それに、経済的に困窮した国民は原発問題よりも、明日の仕事のことを心配している」との答えが返ってきた。
 
 第一原発事故に強い関心を持ち、年内にも福島を訪れたい、という。
 「三十年たっても、私たちが原発事故について理解しているのは、薬や治療が必要だということだけ。原発事故を哲学的に、人類学的に考え、理解することこそ必要。フクシマで何が起きているのか、日本の人々がどう考えているのかを聞きたい」と話した。
 
 <スベトラーナ・アレクシエービッチさん> 1948年5月、旧ソ連ウクライナ共和国生まれ。父はベラルーシ人、母はウクライナ人。ジャーナリスト、作家として活動し、多数の市民から聞き取った話を一人称の独白形式で表現する手法が特徴。邦訳された「チェルノブイリの祈り」は86年のチェルノブイリ原発事故の処理に当たった人や地元住民らの証言を記録。2015年、ノーベル文学賞受賞。
 
 
チェルノブイリ事故30年 作業員、当時の衝撃は今も
東京新聞 2016年4月26日
 【キエフ=共同】大気中に漏れ出した放射性物質による史上最悪の被害をもたらした旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故から二十六日で三十年を迎え、首都キエフの教会で事故発生時刻の午前一時二十三分(日本時間同七時二十三分)の直前から犠牲者の追悼式が営まれた。鐘が三十回打ち鳴らされる中、参列者らは事故で失った家族や友人らをしのび、二度と原発事故が起きないよう祈りをささげた。
 
 約三百人の参列者の多くは事故当時に原発関連職員で、その後も処理作業に携わった人たち。老いの目立つ姿が三十年の時の流れを感じさせた。カリビナ・バスムロワさん(72)は「長い時間が過ぎたが、あの時感じた強いショックは変わらない」と語り、事故の衝撃が人々の心に今も生々しく残っていることをうかがわせた。
 事故処理にはこれまで六十万人以上が参加し、今後も百年単位の時間がかかる見通し。数世代にわたる継続を余儀なくされる未曽有の人災の処理は、東京電力福島第一原発事故の廃炉作業にも教訓となる。
 バスムロワさんは「恐怖や、何をしていいのか分からないという気持ちは人ごととは思えなかった」と福島の被災者を気遣い、チェルノブイリの経験を生かしてほしいと訴えた。
 チェルノブイリに近いスラブチチでも二十五日夜、住民が犠牲者の遺影に献花した。二十六日には原発周辺の立ち入り制限区域でポロシェンコ大統領らが出席し式典が開かれる。
 
 <チェルノブイリ原発事故> 1986年4月26日、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発4号機が、原子炉の欠陥と運転員の熟練不足から出力が急上昇し試験運転中に爆発。ベラルーシやロシア、欧州などの1万平方キロ(東京都と神奈川、千葉両県を合わせたのとほぼ同じ広さ)が放射性物質で汚染された。消火に当たるなどした数十人が急性放射線障害で死亡。約33万人が移住させられた。原発周辺では甲状腺がん増加が指摘され、国際機関などは、がんなどによる死者を4000~9000人と推定。事故の深刻度を示す国際尺度では東京電力福島第一原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」。