2016年5月21日土曜日

核燃サイクル なぜ延命に固執するのか

 高知新聞が「核燃サイクルなぜ延命に固執するのか」とする社説を掲げました。
 これまで核燃サイクルには数兆円という莫大な税金が投じられてきましたが、完成する見込みはいまだに不明です。
 フランスが幾度も失敗を繰り返した挙句撤退した高速増殖炉の技術を、日本は一体どういう根拠から完成させる見込みがあると考えたのでしょうか。 
 
 核燃サイクルに何の経済的なメリットもないことは明らかです。
 そもそも核燃サイクルが動けば本当にプルトニウムが消費されるのかも不明です。少なくともプルトニウムを増殖するもんじゅをプルトニウム消費の柱にしていること自体が大変な矛盾です。
 そこでプルトニウムが消費されるという説明には海外も疑惑の目を向けています。国はそうした人々を説得できるものを持っているのでしょうか。
 
 六ヶ所村での再処理が仮にうまく動いたとしても、近海が放射能で強烈に汚染されるのは明らかです。
 加えてもんじゅで万一爆発・燃焼事故が起きた時には手の施しようがなく、大量のプルトニウムが放出され西日本一帯が汚染されます。
 そうした決定的なマイナス要因を国はどう評価しているのでしょうか。
 このような矛盾、リスク、マイナスを抱えながら密かに核大国を目指すなどということは絶対に許されません。
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(社説)【核燃サイクル】なぜ延命に固執するのか
高知新聞 2016.05.20 
 原発から出る使用済み核燃料の再処理事業の枠組みを変更する「再処理等拠出金法」が成立した。国の関与を強化して事業継続を図る、いわば核燃料サイクル政策の「延命法」といってよい。
 だが、核燃サイクルは要となる再処理工場の完成は遅れ、再処理した燃料を消費するはずの高速増殖炉もんじゅも、相次ぐトラブルで運転実績はほとんどない。
 事実上、破綻した政策ながら、政府は維持するため巨額の税金を投入し続けてきた。なぜ延命に固執するのか、疑問が膨らむ。
 将来の負担が増す恐れもある中、果たして核燃サイクル維持に国民の理解が得られるか。政府は検証した上で、事業の妥当性や明確な見通しを説明すべきだろう。
 
 政府は、使用済み核燃料を再処理し、抽出したプルトニウムをウランとの混合燃料にして利用する核燃サイクルを進めてきた。
 とはいえ、要となる「再処理」、「消費」のいずれにもつまずき、現実的には画餅の域を出ていない。
 再処理事業はこれまで大手電力が出資する日本原燃が担い、費用は各電力が任意に積み立ててきた。再処理工場は1993年に着工されたものの完成延期を23回も繰り返し、建設費は当初の約3倍、2兆2千億円まで膨れ上がった
 新法は、事業主体として認可法人を新設し、原燃に業務を委託する形へと改める。事業計画や人事に関する国の権限を強め、電力各社に費用拠出を法的に義務付ける
 
 電力会社は今、小売りの全面自由化で競争に直面し、福島第1原発事故以降は原発の依存度も下がっている。国の関与強化により、各社の経営判断で再処理事業から撤退するのを防ぐ狙いだろう。
 ただ、そんな事態を懸念して枠組みを変えること自体、再処理事業の採算性に問題がある証しだろう。
 再処理が進んだとしても、課題は残る。取り出したプルトニウムに消費のめどが立たないからだ。
 核燃サイクルは高速増殖炉で再処理した燃料を使う想定だったが、もんじゅは95年に冷却材ナトリウム漏れ事故を起こした。それからほぼ運転しないまま老朽化し、年間200億円もの維持費がかかっている。
 運転主体の日本原子力研究開発機構はトラブル続きで運営能力が不適格とされ、体制の抜本的な見直しを迫られている。一般の原発で使うプルサーマルも、再稼働が停滞して進んでいない。
 消費の道がみえないにもかかわらず、再処理にこだわる政府の姿勢は矛盾をはらむ。日本の保有するプルトニウムはすでに約48トンも積み上がり、国際社会で核武装への疑念も招いている。
 これまでの原発運転で、使用済み燃料の処分は避けて通れない課題としても、容器に入れて埋める直接処分方式もある。なぜ「再処理ありき」なのか、説得力を欠けば国内外の目はより厳しくなろう。