2016年6月17日金曜日

福島原発事故 避難解除の先に・・・

 政府は来年3月末をもってほとんどの避難指示を解除する方向です。住民たちの避難を強制的に解消することで、原発事故の影響が収まったという体裁を整えたいということのようです。
 そうなれば避難者への手当の支給はなくなり、自主避難者への住宅(手当)の供給もなくなるので、避難者たちは意思に反して帰還を余儀なくされます。
 しかしながら年間20ミリシーベルト以下であれば居住が可能とする政府のやり方は余りにも法外なので、実際に帰還するのは被曝を覚悟している高齢者に限られていて、若い人たちや子どものいる家庭は帰還しないようです。
 
 その他にも、庭先に積み上げられた放射性廃棄物を収納しているフレコンバッグの処置や、汚染と傷みが激しくて家屋を建て替えをしなくてはならないにも拘わらず、国が行うことになっている家の解体撤去が遅々として進まないという問題があります。
 
 河北新報が「避難解除の先に」と題して帰還にまつわる問題点を3回にわたって取り上げました。
 以下に紹介します。
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<避難解除の先に> 景色一変 消えぬ不安
  ◎福島原発事故の現場(上)除染
河北新報 2016年6月12日
 12日の福島県葛尾村を皮切りに、同県川内村、南相馬市の一部に出されていた避難指示が7月までに解除される。東京電力福島第1原発事故の発生から6年目。各地域は本格復興への一歩を踏み出すが、生活再建の道は決して平たんではない。戸惑う地域の表情を追った。(福島第1原発事故取材班)
 
<廃棄物の山>
 除染廃棄物の山が視界と地域の展望を遮る。
 「農業で生計を立てるのは難しいだろう」
 葛尾村の松本和雄さん(68)が厳しい表情を浮かべる。苗がそよぐ水田からわずか数十メートル。視線の先に、除染で発生した土壌などを保管する仮置き場がある。
 昨年からコメの実証栽培に取り組んでいる。たとえ安全基準をクリアしても、異様な光景に好印象を抱く消費者はいないだろう。
 「これからも風評被害に苦しめられるんだろうな」。松本さんが嘆いた。
 村内では31カ所に仮置き場が設けられている。保管量は1トン入りの袋で40万個を超える。国は福島県内で発生した除染廃棄物について、同県双葉、大熊両町に建設する中間貯蔵施設への集約を計画する。だが、用地取得は難航し、実現のめどは立っていない。
 避難指示が解除されても、行き場のない大量の廃棄物は地域に滞留し続ける。「帰還意欲を減退させかねない」。各自治体は危機感をあらわにするが、手の打ちようがないのが実情だ。
 
 南相馬市小高区の沿岸部に位置する行津(なめづ)地区。仮置き場の敷地面積は50ヘクタールに迫る。同市の避難区域にある11カ所で最大規模となる。
 20戸余りの集落のうち帰還を予定するのは2戸だけ。東日本大震災による津波被害を受けたとはいえ、住民減少の要因はそれだけではない。
 「仮置き場を敬遠して移住を決めた人もいるよ」。地元の佐藤勝正さん(67)がつぶやく。生活再建に向け、避難先のいわき市から自宅に通っている。
 所有する水田約1ヘクタールは除染廃棄物が入った黒い袋の下敷きになっている。来年3月には土地が返還される約束になっていた。「いつまで保管し続けるのか。なりわいが戻らなければ地域再生が遠のいてしまう」
 
<作業に遅れ>
 除染を巡る住民の不満と不安は、廃棄物の管理にとどまらない。
 葛尾、川内両村は生活圏の除染を終えているものの、南相馬市では400区画以上の宅地について本年度に作業を持ち越した。住民同意が得られないなどの理由からだ。一帯では、解除後も高線量の地点が点在しかねない状態が続く。
 南相馬市小高区の清信清一さん(60)は隣接する空き家を気に掛ける。雑草が生い茂り、伐採した庭木が山積みになっている。除染の形跡はうかがえない。
 国は年度内に全区画で作業を終える考えだが、所有者の意向に左右されるだけに、完全実施の保証はない。「散歩もできない。皆が安心して戻れる環境なのか」。清信さんが怒りをにじませた。
 
 
<避難解除の先に>解体停滞 住民に焦り 
 ◎福島原発事故の現場(中)住まい
河北新報 2016年6月14日
 「一日も早く故郷で生活を」。住民が帰還を切望しても、肝心の住宅整備がなかなか進まない
 東京電力福島第1原発事故による避難が5年以上に及び、原発被災地にある民家の傷みは激しい。建て直しを計画する住民は少なくないが、環境省による荒廃家屋の解体が滞っている
 
<2割満たず>
 12日に避難指示が解除された福島県葛尾村の解体申請は約350件。2015年度内に終了したのは2割に満たない。入札不調というトラブルもあり、本年度分の工事はいまだ本格化していない。
 しびれを切らして民間業者に自分で依頼する住民が出ている。
 遠藤英徳さん(74)はその一人。昨年夏に申請したが、一向に工事が始まる気配がない。「新居の完成を先送りしたくない」。今年5月、自主解体に踏み切った。
 福島県三春町の仮設住宅に妻と避難している。「狭い部屋にいたのでは体がもたなくなってしまう。早く帰りたいが、年内の自宅再建は無理だ」。自宅敷地は既に更地になり、地鎮祭を終えた。遠藤さんは引っ越しの日を待ちわびる。
 
 7月に解除される福島県南相馬市の現状も厳しい。1000件以上の解体工事が控え、年度内に完了できるかは不透明だ。環境省は地域再生への影響を避けるため、帰還予定者の物件を優先して着工している。
 国の担当者は「家屋をネットで覆って汚染物質の拡散を防ぐなど、避難区域の工事は通常より手間を掛けている。安全に配慮しつつ円滑に進める工夫をしたい」と話す。
 
<多忙な業者>
 住環境を巡る課題は他にもある。新居建設や大規模修繕の依頼が殺到し、業者がさばき切れない事態に陥っている。避難区域では「『年単位で待ってほしい』と言われた」「工事が中断した」といった悲鳴があふれる。
 南相馬市小高区の原敏則さん(62)は、7月に自宅の再建を始める。もともと地元業者への注文を考えていたが、多忙ぶりを考慮して方針を転換。仙台市の大手ハウスメーカーに解体、建設をセットで頼むことにした。
 原発事故時に1人だった孫が4人に増えた。2部屋しかない仮設住宅では親族を迎えられない。原さんは「子や孫がくつろげるスペースを確保したかった。来年の正月は新居で迎えられそうだ」と語る。
 住まいなしに被災者の生活再建はおぼつかない。南相馬市の建築業者の一人は「東京五輪の関連工事や熊本地震の復興が本格化すれば、人手や資材はさらに乏しくなる。今後、建築事情は厳しさを増すだろう」とみる。
 
 
<避難解除の先に>住民離散 維持は困難 
 ◎福島原発事故の現場(下)共同体
河北新報 2016年6月15日
 人口減という重い現実を前に、住民自治の基盤がぐらついている。
 「行政区の見直しを進めたい」
 福島県南相馬市の桜井勝延市長が5月、小高区など避難区域の行政区長を集めた会議で提案した。後に7月12日と決まる避難指示解除の議論が大詰めを迎えていた。
 
<危機を共有>
 会場から異論はない。東京電力福島第1原発事故から既に5年がたっている。「共同体の維持は難しいだろう」。区長らも危機感を共有していた。
 市内では計47行政区に避難区域が設定されている。市が小高区民を対象に実施したアンケートでは、帰還世帯が20に満たない行政区も少なくない。深刻な津波被害を受けた沿岸部はもちろん、内陸部も住民流出が加速している。
 小高区の山間部にある角間沢行政区。37戸のうち避難先から戻るのは最大でも10戸程度とみられている。
 「小さい集落だけど、まとまりがあってね」。住民の谷沢里さん(69)が懐かしむ。栃木県で避難生活を続けながら、月の半分程度を自宅で過ごしている。
 行政区の住民は深い地縁で結ばれてきた。地域行事の実施や集会所の管理にとどまらず、道路の草刈り、水路清掃といった共同作業もこなしてきた。活動を続けるには、どうしても一定の規模が必要となる。
 地域の縮小を見据え、角間沢は今後、負担の大きい草刈りを業者に委託することにしている。支払いには行政区で受け取った賠償金を充てる算段だ。「戻るのは高齢者が中心。仕方ない」。谷沢さんが声を落とした。
 南相馬市は地元へのヒアリングなどを経て、新たな区割りを進める考え。統廃合となれば、山林など共有財産の扱いも焦点となる。
 区長の一人は「登記上の名義はわれわれの先祖のまま。海外在住の相続人もおり、処分もできない」と戸惑う。
 
<対応に限界>
 共同体存続への不安は、一足先に避難指示が解除された福島県葛尾村でも聞かれる。広谷地行政区の渡辺隆区長(72)は「28世帯の住民のうち戻るのは5分の1程度。広い地域での作業はこなせない」と嘆く。
 
 急速な地域の変化に、自主防災の主力となる消防団も揺れている。
 南相馬市小高区では、かつて約360人が団員として活躍していた。原発事故後に近隣自治体などに移住する若手が相次ぎ、非常時に招集できるのは80人程度にとどまるという。
 「限られた人員では大災害時の対応に限界がある。技術伝承も難しい」。小高区で分団長を務める道中内好信さん(63)が、組織の行方を危ぶんだ。