2016年7月8日金曜日

原発の是非・リスクを正面から論じることが必要

 信濃毎日新聞が、今度の参院選では改憲問題と同様に、原発の再稼働の問題も真正面からの論戦が行われていないと指摘する社説を掲げました。
 
 自民党は新規制基準に適合した原発の再稼働を進める方針を公約に明記していますが、その一方で、避難計画の実効性は確保されておらず、安全性の十分さについては未解決のままです。規制基準に適合した場合でも規制委は安全を保障しないと明言しているので、安全に対する責任の所在が不明のままで再稼働が進められているわけです。
 
 「原発のリスクをどこまで容認するのか」「経済的なリスクとの兼ね合いはどうするのか」・・・信濃毎日新聞はそういう問題の立て方もしています。
 これについては福井地裁の樋口英明裁判長(当時)が高浜原発3、4号機の再稼働差し止め仮処分決定の際に示した、「一旦事故を起こせば取り返しのつかない悲劇を生む原発で、経済性についての検討などは問題にならない(要旨)」の判断で決着がついている筈ですが、そのことも含めて確認しようということかもしれません。
 
 そして勿論使用済み核燃料の処分方法の議論も避けて通れません
 プルトニウムの保有量を減らすためにスタートした筈の核燃料の再処理が、現状を見ると減らす方向にはなっていません。故意だったのかそれとも無知だったのかはともかくとして、その矛盾が明らかになった以上このまま放置することは許されません。
 
 このように折に触れて原発に伴う問題点を明らかにすることは必要なことですが、どれをとっても参院選中に解決できるような問題ではありません。またこれについて原子力ムラに解決を委ねることも大間違いです。
 かつてドイツで、利害関係者を除外した「倫理委員会」を立ち上げて、そこで脱原発問題を審議したという事例にならって、どのような機関であれば公正な審議ができるのかについて、日本でも検討を進めるというのが本来のあり方でしょう。
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(社説)原発の是非 リスクを正面から論じよ
信濃毎日新聞 2016年7月7日
 東京電力福島第1原発の事故から5年余。将来のエネルギーをどう確保するのか、国民的な議論がないまま、原発の再稼働が進んでいる。
 考えなければならないことは多い。それなのに、今回の参院選で与野党とも真正面から論戦していない。
 
 何より大切なのは、リスクの問題である。
 自民党は選挙公約で、原子力規制委員会の新規制基準に適合した原発の再稼働を進める方針を明記している。
 新基準は施設面の対策が最低限の条件を満たしたことを確認したにすぎない。規制委の田中俊一委員長も「100%の安全が保障されるわけではない」と繰り返している。避難計画に実効性が伴わない場合もある。安全に対する責任の所在は不明確なままだ。
 
 政府は2014年4月に原発を重要なベースロード電源と位置付け、昨年には30年の電源構成比率を原発20〜22%と定めた。運転開始から40年が経過した老朽原発の運転継続が前提になっている。
 福島事故後に原子炉等規制法を改正し、安全面から寿命を原則40年と定めたことを形骸化させる。規制委は老朽化した関西電力高浜原発1、2号機(福井県)の運転延長を認可した。運転延長を目指す動きが加速する可能性がある。
 
 国民は原発のリスクをどこまで容認するのか。動かさない場合の経済的なリスクと比較した上で、将来のエネルギーを選択することが必要だ。参院選で問われるべき点はそこにある。
 与党は安全性について規制委に責任を押し付け、脱原発でほぼ一致する野党は、原発を動かさない場合のリスクを語らない。このままでは国民は判断できない。
 
 使用済み核燃料の処分方法の議論も避けて通れない。
 日本は全量を再処理し、プルトニウムなどを取り出して加工し、国内の原発で再び燃料として使用することを目指している。
 日本が抱えるプルトニウムは約48トン、核爆弾6千発分になるのに、計画通り消費できるめどは立たない。再稼働すれば使用済み核燃料がさらに増える。安全保障の観点から国際的批判も高まる。必要な隔離期間が数万年とされる核のごみの最終処分方法も、方向性を打ち出すことが必要だ。
 
 このまま再稼働をなし崩しに進めることは許されない。与野党は原発を含めた将来のエネルギー政策について、明確なビジョンと具体策を示さなければならない。