2016年8月31日水曜日

柏崎原発 再稼働に厳しかった泉田知事が出馬しないことに 

 東京新聞が、新潟県知事選への出馬撤回を表明した泉田裕彦知事が、これまで原発問題に対して取ってきた言動を総括する記事を出しました。東電の柏崎刈羽原発を再稼働させたいとする目論見を、泉田知事が断固拒否してきた軌跡が述べられています。
 
 TVなどで、浄水場(下水処理場も同様)の高放射能汚泥の処理や放射能に汚染されたがれきの焼却処分において、「汚泥類は自分たちで処理する」、あるいは「がれきの焼却を引き受ける」とする県内の市長らと間で軋轢があったことが報道されています。 
 これについては「放射性汚泥の処理は東電で行うべし」、あるいは「放射性がれきの引き取りと焼却は、放射能の分散になるので不可」とする知事の見解が明らかに正論でした。泉田氏は資源エネルギー庁にいたことがあるので、そうした基礎知識に間違いはありませんでした。
 市長たちには「善意なのだから」という言い分があったのでしょうが、そういう次元の問題ではありません。
 汚染を更に広げてしまうことの非は、広範囲に及んだ放射能汚染が一向に回復していないことからも明らかです。
 
 新潟県はまたと得難い人を失うことになりました。
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柏崎刈羽を巡る対立に変化も 再稼働に厳しい泉田知事不出馬 
東京新聞 2016年8月31日
 新潟県知事選への出馬撤回を表明した泉田裕彦知事は、史上最悪の原発事故を起こした東京電力が再び原発を運転することに厳しい目を向けてきた。東電関係者は「突然の表明で驚いたが、われわれは原発の安全対策に全力を尽くすだけ」と、推移を見守る姿勢だが、同県に立地する柏崎刈羽原発の再稼働を巡る県との対立構図に変化が起こる可能性も出てきた。
 
 泉田氏が東電への強い不信感をあらわにしたのは二〇一三年七月。東電が県に事前説明しないまま柏崎刈羽6、7号機の再稼働に向けた原子力規制委員会の審査申請を決めたことに、泉田氏は「地元軽視だ」と猛反発した。
 県庁を訪れて理解を求めた広瀬直己社長を「『安全を大切にする』という言葉はうそだった」「約束を守らない会社」と報道陣の前で厳しく叱責(しっせき)、「話がかみ合わないのであれば、お引き取りください」と一方的に面会を打ち切って追い返した。
 
 泉田氏は、東電が福島第一原発事故から二カ月後の一一年五月になってようやくメルトダウン(炉心溶融)を認めたことにも「事実を隠蔽(いんぺい)した」とさまざまな場面で批判を展開し、専門家でつくる県技術委員会の場で真相究明を求めてきた。
 その結果、東電は今年二月になって、炉心溶融の判断基準を記したマニュアルを見過ごしていたと発表。東電の第三者検証委員会が六月、「当時の社長が炉心溶融という言葉を使うなと社内に指示していた」との報告書をまとめ、広瀬社長は隠蔽を認めて謝罪した。
 
 泉田氏は一方で、全国知事会の危機管理・防災特別委員長として、政府に原子力防災の強化を要望するなど、国の政策にも厳しい態度を見せてきた。
 その中で、規制委の姿勢を「原発の新規制基準はハード(設備)にしか目が向けられていない」「避難計画について地元の意見を事実上無視している」と批判。田中俊一委員長が「個性的な発言だ」などと不快感を示すこともあった。
 知事選の構図は不透明だが、泉田氏が不在となれば、国や東電にとって原発再稼働への障壁が一つなくなることになりそうだ。
 
◆「炉心溶融」隠しなど指摘
 新潟県の泉田裕彦知事が十月の知事選に不出馬の方向となり、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働問題の行方は混沌(こんとん)とした状況になった。
 泉田氏は、東電が再稼働へのテコ入れのため「新潟本社」を設立したり、立地する刈羽村などから経済的な理由による再稼働を求める声が上がったりしても、「福島第一原発の事故の検証なくして議論自体ありえない」と、毅然(きぜん)とした姿勢を取り続けてきた。
 東電が福島の事故発生当初、「炉心溶融」や「メルトダウン」という言葉を使わず、事故を小さく見せかけようとした問題も、県技術委員会で指摘された。
 
 一方、原子力規制委員会は、柏崎刈羽6、7号機の新規制基準による審査を、沸騰水型の原発では優先して進めることを決定。審査で「適合」判断が出れば、再稼働までの大きなハードルは地元が同意するか否かだけになる。
 地元同意では、知事の影響力は極めて大きい。周辺自治体の態度も知事の姿勢に大きく影響される。後任の知事はだれか、どういう姿勢で臨むかで、柏崎刈羽の再稼働の行方は左右されるが、現時点では見通せない。 (山川剛史)