2017年5月13日土曜日

三反園知事 脱原発の言葉に命はあるか

 脱原発を訴えて鹿児島県知事に当選した三反園訓氏は、知事就任後九州電力に対して川内原発の停止を求めましたが九州電力に断られると、その後は原発の稼働について、「知事になる前の立場と、今の立場はちがう」と公約を大幅に修正し、自分を支持してくれた脱原発団体代表とも決して会おうとしませんでした。
 そして「私に原発を稼働させるか稼働させないかの権限はない」として、川内原発1号機の再稼働を容認しました。
 そうした変節について当然世間は批判し、例えば毎日新聞は2016年12月11日「三反園知事 看過できない変節ぶり」とする社説を掲げるなどしました。
 
 しかし三反園氏本人は別に変節したという自覚を持っていないようで、これは不思議なことです。
 三反園氏が母校の鹿児島県指宿高校で生徒たちに「政治家にとって言葉は命」と語った場に、取材でいた西日本新聞鹿児島総局上野和重氏が、「脱原発の言葉に命はあるか」と題する記事を書きました。
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【見解】脱原発の言葉に命はあるか 鹿児島総局・上野和重
西日本新聞 2017年05月12日
◆三反園知事の変節
 「政治家にとって言葉は命」。つい先日も復興相が失言で更迭されたように、当然の格言である。鹿児島県の指宿高校で4月13日、生徒たちにこの格言を説いたのはOBの三反園訓(みたぞのさとし)知事だ。
 三反園氏を昨年7月の知事選前から取材している。原発に関する言葉の「変節」を間近にみてきた私は「あなたが言いますか」と思った。
 
 三反園氏が注目を集めたのはなぜか。脱原発を掲げ「安全性が確保されていない原発を動かすわけにはいかない」とたんかを切り、九州電力のトップを呼びつけ、川内原発(同県薩摩川内市)の即時停止を求めたことが大きい。
 知事選で反原発団体と脱原発などで政策合意した。自身を保守と強調しつつ同団体と手を握ったのは現職を倒す戦略としては理解できる。しかし知事就任後、政策合意の相手方の面会要請には一切応じない。過去2回の記者会見で理由を尋ねても「必要があればどなたでも会う」との言葉を計12回使った。まさにのれんに腕押し。相手方への誠実さは感じ取れなかった。
 
 その後、原発への姿勢は「私に稼働させる、させないの権限はない」と後退。川内原発の安全性などを検証する専門委員会の人選では、委員に「反原発派を加える」と過去に記者会見で述べているにもかかわらず「記憶にない」。1号機の稼働を容認した言葉は「専門委が安全性に問題ないとした。九電に強い対応は取る必要はない」。稼働反対署名を出した市民7万人が納得できる言葉だろうか。
 
 さらに驚いたのが自身の後援会長の人事。前知事の後援会長だった県医師会長を迎えた。医師会は自民党の友好団体。「敵味方でなくオール鹿児島の体制をとるため」との説明だが、原発推進の自民にすり寄ったとしかみえない。
 こうした三反園氏の変節にも、反原発派の一部は「知事は脱原発でぶれていない」と期待する。前知事の原発推進ぶりに比べれば “まだまし” の論理からだという。
 
 4月21日の記者会見。変節との批判に三反園氏は「原発に頼らない社会をつくっていく。ぶれていない」と胸を張った。母校での「言葉は命」発言の意味を「飾った言葉では相手の心に響かない」と語った三反園氏。その言葉は県民に響いているだろうか。