2017年7月17日月曜日

新潟県中越沖地震から10年 原発耐震強化の契機に

 10年前に起きた中越沖地震では、柏崎刈羽原発のタービン建屋では各号機共 軒並み1000ガル以上を実測し、その最大値は3号機の2058ガルでした(東電報告書)。このことがあって、その後柏崎刈羽原発の基準地震動は2300ガルに、特異的に高く設定されました。
 また震度6強の揺れで原発施設は大小合わせて3600か所が損傷し(東電報告書)、原発は基本的に強い地震に持たないことが明らかにされました。

 TBS、産経新聞、NHK がそれぞれの視点から、中越沖地震を柏崎刈羽原発との関係に絡めて報じました。
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中越沖地震から10年、原発城下町は今
TBSニュース 2017年7月16日
 15人が死亡した新潟県中越沖地震から16日で10年。これは、世界で初めて原発が被災した地震でもありました。10年が経ち、原発城下町は新たな問題に直面しています。
 地震発生時刻にあわせ、黙祷が捧げられた柏崎市。10年前、震度6強の揺れが襲います。死亡者15人、負傷者2300人は、この年、国内最大の被害でした。
 しかし、注目されたのは原発ばかりでした。世界初の「原発震災」と言われ、稼働中の全原子炉が停止しました。漏れ出した放射性物質は微量でしたが、緊急時対策室のドアが歪み、自治体への連絡が遅れるお粗末な防災体制が露呈しました。教訓に緊急時の拠点、免震棟が作られ、他の原発にも整備されていきます
 福島第一原発に免震棟がなければ、東日本大震災の被害はもっと甚大だったと言われています。
 「何度もこうした話を・・・。おわびを申し上げて・・・」(東京電力・広瀬直己社長〔当時〕)
 しかしその免震棟をめぐり、今年、東電が耐震性不足を公表していなかったことが明らかになり、再稼働へのハードルを自ら上げました。

 柏崎は海も観光資源です。原発の風評被害により激減した観光客は戻り、地震の爪痕は全くみられなくなりました。ただ、世界最大の原発は福島の事故以降止まったままで、行く末は定まっていません。
 これまで原発と共存してきた柏崎市。市長が再稼働の条件として東電に突きつけたのが・・・。
 「1号機から5号機に関する“廃炉”計画を明確なものにしてもらいたい」(新潟県柏崎市・桜井雅浩市長)
 「廃炉」計画の策定でした。16日の追悼式典には東京電力の小早川社長も参列しました。

(Q.柏崎市長から“廃炉発言”もありましたが・・・。)
 「これから就任のごあいさつにお伺いいたしますので、改めて市長、知事にごあいさつの時に改めてお話をしたいと考えています」(東京電力・小早川智明社長)

 原発城下町の主は10年経っても息をひそめたままです。日本で初めての原発震災は何を遺したのでしょうか。


原発被災、耐震強化の契機 津波対策は後手、
福島第1原発事故防げず 新潟県中越沖地震10年
産経新聞 2017年7月15日
 15人が犠牲になった新潟県中越沖地震から16日で10年となった。東京電力柏崎刈羽原発は設計時の想定を上回る揺れに見舞われ、全7基のうち稼働していた4基で原子炉は自動停止したが、3号機外部の変圧器で火災が発生し、衝撃的な映像として国内外で報道された。国は全国の原発に地震想定見直しなどを急ぐよう指示したが、津波対策は後回しとなり、平成23年の東日本大震災による福島第1原発事故は防げなかった

 柏崎刈羽の基準地震動(想定される最大の揺れ)は当初450ガルだったが、1号機では680ガルを記録。国の原子力安全委員会は18年、「耐震設計審査指針」を改訂して耐震基準を強化しており、柏崎刈羽でも見直しが行われようとしていた矢先だった。
 安全委などは地震後、全国の原発に基準地震動の見直しを急ぐよう指示し、柏崎刈羽では2300ガルに再設定された。

 一方、改訂では津波についても「極めてまれだが発生する可能性があると想定される」レベルに備えるよう定めた。
 しかし、福島第1原発事故に関する国会事故調査委員会の報告書によると、改訂を受けて20年度末までに提出された各発電所の中間報告では津波に対する評価は含まれず、基準地震動と主要施設の耐震安全性評価が優先された
 中越沖地震では他に、6号機で燃料貯蔵プールの水が揺れであふれ、微量の放射性物質が海に漏洩(ろうえい)。また、緊急時対策室となる予定の施設の扉がゆがみ、出入りできなくなった。東電の岡村祐一・原子力設備管理部長代理(51)は「トラブル時に緊急時対策室が使えず、指揮が執れなかったことは社内で痛恨の極みだった」と振り返る。

 しかし今年2月、その教訓を生かして設置された柏崎刈羽の免震重要棟の耐震性が不足し、東電が把握後も約3年間、原子力規制委員会に報告していなかったことが発覚し、地元の不信感は強まっている。一方、福島第1原発でもその後、免震重要棟が設置され、東日本大震災では事故対応の要として大きな役割を果たした。 (鵜野光博)


新潟県中越沖地震から10年 原発の大地震対策徹底求める声
NHK NEWS WEB 2017年7月16日
15人が死亡した新潟県中越沖地震から16日で10年になります。この地震では柏崎刈羽原子力発電所で、火災が起きるなどのトラブルが相次いだことから、地元では、東京電力が原発の再稼働を目指す中で、大地震に備えた対策の徹底を求める声が高まっています。
平成19年7月16日に起きた新潟県中越沖地震では、柏崎市や刈羽村などで震度6強の揺れを観測して、15人が死亡し、7万6000棟に上る建物が被害を受けました。

被災地の自治体は住宅の再建など復興はほぼ終わったとしていて、発生から10年となる16日、県や地元の関係者が出席し、柏崎市で犠牲者を追悼する式典が行われます。
この地震では、柏崎刈羽原発で火災が発生するなどのトラブルが相次ぎ、その後の福島第一原発の事故もあって、地元では大地震と原発事故が重なった場合にどのように備えるのかが課題となっています。

新潟県と関係する自治体は14日、同じ規模の地震を想定した訓練を行いましたが、東京電力が原発の再稼働を目指す中、地元住民からは大地震に備えた対策の徹底を求める声が高まっています。