2017年9月24日日曜日

千葉訴訟 論理が後退している

 千葉地裁は判決で「国や電力会社が投資できる資金や人材は限られ、すべてのリスクに対応することは現実的には不可能だった。仮に対策をとっていたとしても、東日本大震災の津波の規模から考えると事故は避けられなかった可能性がある」と述べていますが、「すべてのリスクに対応できないのであれば原発を運転してはならない」というのこそが鉄則なのではないでしょうか。
 現にひとたび原発が過酷事故を起こせば、1000年が経過しても原状には復せないということが、福島原発事故で明らかになっているのにもかかわらず何とも弛緩した判決です。

 10mを超える津波の到来を予見し得たことを「前提」として認めながらも、その後の論理展開は屈折を繰り返し予想外の地点に着地するというなんとも奇妙な判決でした。

 東京新聞と高知新聞の社説を紹介します。
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【社説】原発・千葉訴訟 論理が後退している
東京新聞 2017年9月23日
 津波を予見できた。それは千葉地裁も認めたが、事故を回避できなかった可能性がある-。福島第一原発事故の損害賠償を求めた判決は、三月の前橋地裁判決から論理が大きく後退した。残念だ。
「不当判決」と原告側弁護士は法廷を出て述べた。それは判決の論理が、原告側が主張したものとは全く違っていたからだ。津波と事故の因果関係から、国や東京電力に法的責任があることを明確にすることだ。
 三月の前橋判決では「地震や津波は予見できた」と認めたし、「一年でできる電源車の高台配備やケーブルの敷設という暫定的対策さえ行わなかった」と東電の対応のずさんさを指摘していた。つまり、経済的合理性を安全性に優先させたという構図を描いていた。

 ところが、千葉地裁の論理は異なる。例えば十メートルを超える津波が来ることは予見できたと認めても、当時は地震対策が優先課題だったとする。津波の長期評価には異論もあったから、対策を講ずる義務が一義的に導かれるとはいえない-。こんな論法を進めるのだ。
 判決はさらにいう。仮に原告がいう対策をとったとしても原発事故に間に合わないか、結果的に全電源喪失を防げなかったかもしれない。いずれにせよ原発事故は回避できなかった可能性もある-。

 裁判官がこんな論理を使って、全国各地の原発の再稼働を認めていったらたまらない。原発事故は一回起きてしまったら、もうそこには住めなくなる。放射能がまき散らされて、どんな被害が起きるのか、いまだに不明な状況なのだ。
 十メートルを超える津波が来る。そんな予見ができたのなら、ただちにその対策をとる。全電源喪失に至らないよう、考えうる万全の備えをする。それが常識ではないか。千葉地裁の論法を使えば、津波が予想されても、別の優先課題があれば津波対策をしなくてもよくなってしまう。何とも不思議な判決である。

 福島の原発近くに住んでいた人々は、まさか事故が起きるとは思わなかった。平穏な暮らしだった。原告が求めていた「ふるさと喪失」の慰謝料については、「事故と因果関係のある精神的損害として賠償の対象となる」(千葉地裁)と述べた。当然である。
 原発事故の同様の訴訟は全国約三十件あるという。一件目が前橋、二件目が千葉だ。被害は広く、継続し、深刻である。不可逆的でもある。裁判官にはその重みを知ってほしい。


【原発訴訟判決】安全のよりどころ揺らぐ
高知新聞 2017年9月23日
 東京電力福島第1原発事故で千葉県内に避難した住民らが、国と東京電力に損害賠償を求めた訴訟で、千葉地裁が東電に計約3億7600万円の支払いを命じた。国への請求は退けた。
 全国で相次いでいる同種の訴訟では、ことし3月の前橋地裁判決が初の司法判断となり、津波対策を怠ったとして国と東電の双方の責任を認め、賠償を命じている。

 それに比べ、今回は責任追及に消極的と言わざるを得ない内容だ。
 判決で千葉地裁は、国は巨大津波の発生を予見できたが、対策を取らせる義務までなく、対策を取っても事故を回避できなかった可能性があると指摘した。
 前橋地裁判決では、東電は2002年に想定を超える巨大津波の襲来を予見できたとし、国は規制権限を行使して東電に対策を講じさせるべきだった、と判断していた。国と東電は控訴したが、避難者の苦しみに寄り添い、多くの国民の感覚にも合致する判決だった。
 原発は国策で進められてきたのであって、安全確保には事業者だけでなく、国も重大な責任を負う。それが多くの国民の認識であり、立地自治体の受け入れのよりどころにもなってきたはずだ。
 千葉地裁判決のような責任の程度であれば、立地自治体や周辺自治体の住民は安心して暮らすことができなくなる。国際原子力機関(IAEA)が事故に関する報告書で、東電は対策を怠り、国も迅速な対応をしなかった、と総括したこととも矛盾する。

 東電に関しても、判決には疑問が残る。
 判決は、17世帯42人への賠償を命じた。「ふるさと喪失」の慰謝料を認めた点は注目できるが、東電の事故対応は「津波対応を完全に放置したとまでいえない」と指摘。慰謝料を国の指針より増額する「重大な過失はなかった」とした。
 福島第1原発事故はまだ終わっていない。いまも多くの人が県内外で避難生活を余儀なくされ、郷里に戻ったものの厳しい生活を強いられている住民も多い。第1原発は廃炉のめどすら立っていない状況だ。
 事故原因がはっきりしない中、国や大手電力会社が原発の再稼働を進めていることも重大な問題だ。東電も柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に突き進んでいる。
 原子力規制委員会は、柏崎刈羽の事実上の合格証に当たる審査書案を来月にも了承する方向だが、新潟県知事らは同意に慎重な姿勢を示している。安全性や国、東電の姿勢に疑念を抱いているからだ。
 司法も厳格さを緩めるようなら、安全のよりどころは、さらに揺らぎかねない。
 原発は巨大なエネルギーを生む一方で、巨大なリスクの塊でもある。高度な安全性と責任が保証されてこそ、辛うじて運転が可能になる。その原則が社会の共通認識になっているか、改めて問われている。